「バフムト攻防戦」はウクライナ軍の抵抗でワグネルが苦戦 専門家は「ロシア軍総崩れの可能性も」

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激戦は必然

 ドイツ軍は当初、圧倒的な火力でスターリングラードを包囲。42年9月、市内に突入し、凄惨な市街戦の果てに約9割を制圧した。ところが、11月にソ連軍が逆包囲に成功。現地司令部は脱出を試みたが、アドルフ・ヒトラー(1889~1945)は死守を厳命した。

「司令部はヒトラーの命令に従いましたが、43年1月、弾薬と食料が尽き、翌2月に降伏しました。この大敗北で枢軸国は劣勢に転じ、同年9月にはイタリアが無条件降伏、45年5月にベルリンも陥落したのです」(同・軍事ジャーナリスト)

 ロイター(電子版)が3月15日、バフムトの最新情勢を伝えている。それによると《バフムトでは約8カ月にわたり激しい戦闘が続いており、ウクライナ軍は現在、3方をロシア軍に包囲されている》という(註1)。

「バフムトで激戦が繰り広げられているのは必然と言えます。2014年2月、ロシア軍はクリミア半島に侵攻して占拠、翌3月に“クリミア共和国”の独立を一方的に宣言しました。ウクライナはロシアとの対決姿勢を強め、NATO(北大西洋条約機構)の専門家に指導を仰ぎ、東部の都市の要塞化を進めたのです。その中の一つがバフムトでした」(同・軍事ジャーナリスト)

バフムトの重要性

 要塞化された都市はいずれも、市街地が小高い丘に広がっているという共通点があった。

「ウクライナ東部は広大な平野が広がっているため、ロシア軍は戦車で一気に進行することが可能です。それを防ごうと、ウクライナは視界の開けた小高い街を要塞化し、砲撃などで戦車を撃退する戦略を立てたのです。さらに、要塞化を終えると、物資の備蓄を進めました。充分な備蓄があるからこそ、バフムトはロシア軍の猛攻に耐えられているのです」(同・軍事ジャーナリスト)

 丘陵地では激戦が起きやすい。西南戦争では田原坂と吉次峠の戦い、日露戦争では203高地の争奪戦、太平洋戦争における沖縄戦ではシュガーローフの戦いが有名だ。

「バフムトは両軍にとって戦略的に極めて重要な都市です。首都のキーフから東部に延びる幹線道路は、ハルキウからバフムトを経て黒海に向かって南下し、港湾都市のマリウポリにつながります。ウクライナ内陸部からクリミア半島に至る“回廊”上に位置するバフムトは、まさに交通の要衝と言えます」(同・軍事ジャーナリスト)

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