プーチンの誤算、NATOのコミット不足、米国の抑止戦略の失敗――国際政治学者が総括するウクライナ侵攻の1年

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 2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻。当時は「そのようなことは起きないはず」との見方も根強かったが、侵攻はなされてしまった。

 侵攻から1年を迎えた今、プーチン・ロシア大統領はなぜ侵攻に踏み切ったのか、侵攻を防ぐことはできなかったのか――現代欧州政治と国際安全保障が専門で、NATO(北大西洋条約機構)の視座から開戦の経緯をつぶさに見てきた慶應義塾大学准教授の鶴岡路人氏は、抑止を中心とする戦略論の立場から考察を加えている。

 鶴岡氏の新著『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』から、一部を紹介しよう。

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プーチンが天秤にかけた「利益」と「損失」

 ロシアによるウクライナ侵攻の本質を考えるにあたって、まずは「なぜ起きてしまったのか」「防げなかったのか」について、抑止を中心とする戦略論で考えてみよう。

 この戦争が、ロシアのプーチン大統領によってはじめられたものであることに異論はないだろう。プーチンもさまざまな要素を天秤にかけて最終判断を下したと考える以上、最も根本的だったのは、「侵攻により得られる利益+侵攻を見送った場合の損失」と「侵攻によって被る損失+侵攻を見送った場合の利益」の比較だったはずだ。

 プーチンの計算において、前者が後者を上回ったために、侵攻がおこなわれたと考えることができる。開戦前から、ウクライナ侵攻は非合理的であるとの指摘は多く、さらに、ロシア軍の苦戦を受けて、プーチンによる侵攻の判断は批判にさらされている。

 他方で、プーチンが、よくいわれているように、数日でウクライナの首都キーウを制圧し、ゼレンスキー政権を容易に転覆できると判断し、米欧諸国による反応も、2014年のクリミアの一方的併合と同レベルのものだと想定していたとすれば、みえてくる構図は異なるはずだ。その前提であれば、侵攻を躊躇している間にウクライナの米欧志向が強まり、ロシアの勢力圏からの離脱がより進むよりも、侵攻に踏み切った方が利益になると考えることは、合理的な判断だったのかもしれない。しかし、そうした前提が大きく狂ったのである。

NATOのコミット不足

 今回の戦争を「防げなかったのか」という問いについてはどうだろうか。前述の、プーチンの計算における利益と損失のバランスに照らせば、ウクライナ侵攻を防ぎたい側のウクライナ自身や、米国を含むNATO諸国が、侵攻した場合のロシアにとっての損失を利益よりも大きくできたかが問われる。

 そのためには、ロシアの想定する利益を少なくするか、損失を大きくするか、あるいはその両方が必要になる。結果として、ロシアの侵攻を防げなかったということは、それに失敗したということである。ウクライナに関しては、国力をロシアと比較した場合に、単独でロシアを抑止することは、当初からほとんど不可能だった。ウクライナ軍の能力は、実際には2014年にクリミアが一方的に併合された当時とは大きく異なっていたが、ロシア側がそれを認識しない限り、侵攻にあたってのロシア側の計算結果は変わらない。

 米国やNATOは、ロシアによるウクライナ侵攻を抑止するための十分な能力を有していたものの、NATOにとってのウクライナの重要性と、ロシアにとってのそれとが非対称的だったことは否めない。ロシアにとっての方がより多くがかかっていたのである。ウクライナのNATO加盟を議論しながら、2022年までに実現していなかった事実自体、NATO側がウクライナの安全保障にコミットしていなかったことの証だったともいえる。

 そうしたなかで、均衡が崩れてしまったのが今回の戦争である。

「暴露による牽制」戦略の限界

 そして、この戦争は特徴的なはじまり方をした。前年秋からロシア軍部隊がウクライナ国境に集結しはじめ、緊張が高まっていた。ロシア側は、ウクライナ侵攻の意図はないとしつつ、いつでも実際に侵攻可能な装備を着々と前線に配備していった。その数は10万名をはるかに超えた。状況を注意深く監視していた米国は、ロシアに侵攻の意思があると判断し、ロシアに警告しつつ欧州諸国への情報共有を進め、さらには、ロシアの侵攻意図やその方法を「暴露」する手段に出たのである。

 ロシアが計画していた作戦などを積極的に公表することで、計画遂行を妨害し、変更を迫ることで時間稼ぎをすると同時に、それでもロシアが、実際には自らが攻撃しつつ、「ウクライナが先に攻撃してきた」と主張する偽旗作戦に出た場合に、国際世論がそれに惑わされないようにするという目的があった。ロシアに対しては、「手の内はすべてバレている」というメッセージでもあった。これらをあわせて、「暴露による牽制」ということだった。

 ただし、結果としてそれで侵攻を防ぐことはできなかった。その意味で、ロシアに対して、侵攻を思いとどまらせようという抑止は失敗した。

 それでも、こうした動きを支えた大きな要素の第一は、過去10年ほどで急速に発展した商用の衛星画像サービスだった。これにより、ロシア軍がウクライナ国境に集結している様子が、政府の軍事衛星に頼らずとも、研究機関やメディアによって、鮮明な画像とともに明らかにされていった。第二に、オープン・ソース・インテリジェンス(OSINT)と呼ばれる分野の新たな発展が重要だった。OSINT自体は決して新しい手法ではない。機密情報ではなく、公開されている情報をつなぎあわせて真実を突き止めようとすることを指すが、SNSによる情報を網羅的に扱うことで、従来とは桁違いの情報量を実現し、精度の高い分析が可能になった。民間調査集団のべリングキャット(Bellingcat)の活動はすっかり有名になった。

 政府によるインテリジェンスの「暴露」のみならず、民間側に層の厚い情報が集まるようになっていたために、ロシアの行動はその一挙手一投足が監視されることになった。ロシアは丸裸にされていた。しかし、繰り返しになるが、それでも、ロシアの行動を抑止することができなかったのは、国際社会の側が直視しなければならない現実である。

 実際に起きてしまったのは、第2次世界大戦を彷彿とさせるような戦車戦や砲撃戦、そして、占領下での地元住民への拷問や大量殺戮、さらには強制移住などであった。他方で、例えば戦争犯罪の捜査では、精度の高い衛星画像や顔認証技術といった今日的なツールが重要な役割を果たしている。今回の戦争は、新旧の要素が複雑に入り乱れているのである。

『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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