皇籍復帰案で「賀陽家」からは「好感触を得られている」 愛子さまと交流を深める二人の兄弟の素顔

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父子そろって“最も近い”

 その臣籍降下した11宮家の中で、ひときわ注目を集めているのが1900年に創設された「賀陽(かや)家」(旧・賀陽宮家)である。現当主・賀陽正憲氏(63)は学習院初等科以来の天皇陛下のご学友で、かつては紀宮さま(黒田清子さん)のお相手として取り沙汰されたこともある人物だ。

「旧11宮家の中で独身の若い男系男子を有するのは賀陽家、久邇(くに)家、東久邇家、竹田家の4家で、計10人ほどとみられます。そのうち賀陽家には、現在の皇室に最も近い20代の男系男子が二人いるのです」(同)

 ここでいう“最も近い”とは、

「一昨年開かれていた有識者会議では、事務局である内閣官房の皇室典範改正準備室が作成した47年当時の『皇位継承順位系図』が示されていました。それを現在の系図に当てはめると、賀陽家の男子の皇位継承順位は全体の中で最上位となるわけです」(同)

 当主の正憲氏は、学習院大学法学部を卒業後メーカーに勤務し、英国へ留学。帰国後は大手信託銀行を経て、2000年に宮内庁に転職した。式部職に籍を置いたのち外務省に出向し、在デンマーク大使館1等書記官などを経て、現在は同省の儀典官室に勤務している。

「87年には、東宮御所(当時)で陛下と雅子皇后が密かにお会いになった際にも同席し、『取り持ち役』を務めています。つまり“最も近しいご学友”と言っても差し支えありません」(同)

“新たなご縁”

 ご学友にして最上位の男系男子を擁する旧宮家。そんな「最強カード」を持つ正憲氏は、

「大学時代は陛下のご学友グループのまとめ役のような存在でした。宮内庁に転職した時、ゆくゆくは陛下(当時は皇太子)の侍従になるのではと目されていましたが、幼い頃からご対等な友人付き合いをなさってきた正憲氏と“上下関係”が生じてしまうことを陛下が懸念されたこともあり、この案は立ち消えになったといいます。その後は外務省に出向したまま戻ってこなかったため、一時期は陛下と疎遠になったのではとささやかれたこともありました」(同)

 が、そうした時期も乗り越えたようで、さらには、

「陛下と正憲氏という“お父上同士”にとどまらず、最近では“新たなご縁”が始まっているのです」(同)

 というのだ。

「正憲氏には、現在27歳と25歳になるご子息がいます。ともに学習院高校を経て、お兄さんは早大政経学部、弟さんは同理工学部を卒業しました。これまで新年祝賀の折など、ご学友として陛下にお目にかかる際に、お子さん方も連れて行ったことがあったのです」

 陛下だけでなく、時には雅子さまや愛子さまもご同席なさることがあり、

「そうした機会がきっかけで、賀陽家の兄弟は愛子さまとの交流が始まったと聞いています。とりわけ弟さんは愛子さまと4歳しか違わず、年代が近いこともあってことのほかお話が盛り上がり、最近も御所で面会していたというのです」(同)

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