72年ぶり“除名”処分でも「第二、第三のガーシー議員」は防げない 政治家の信頼失墜が招くさらなる悪夢

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 参院懲罰委員会は3月14日、ガーシー議員の除名処分を採決し、15日の参議院本会議で正式に除名となる。しかし、ガーシー氏の席が議場から消えても、問題の根本的な解決にはならない。今の社会、今の制度が続く限り、“第二、第三のガーシー議員”が生まれてくるだろう。再発を防ぐためには、この問題の本質を見極め、構造改革を進めていく必要がある。【青山和弘/政治ジャーナリスト】

「砂粒化」した社会

「だいたい、あんな議員を当選させた有権者にも責任がある」

 あるベテラン議員はこう声高に主張する。しかし胸に手を当てて考えて欲しい。自分たちは国民の変化に対応し、国民の代表として機能していると言えるのか。国民の信頼を得ているのか。

 SNS全盛のこの時代、かつてのように国民の多くが同じ情報を共有し、おおまかながら共通の価値観を持つことが難しくなりつつある。大手新聞の発行部数は2000年の5370万部から、2022年には3085万部まで減っており、特に、この5年で1000万部以上減少している(日本新聞協会調べ)。また、テレビの視聴率も徐々に下がり続けていて、NHK放送文化研究所の2020年の調査では、20代以下ではテレビよりもインターネットを利用する時間の方が長くなっている。

 インターネットやSNSが情報収集の主流になっていくと、個人個人が得る情報が分散化し、権威の多頭化が起こる。ひろゆき氏か、ホリエモンか、池上彰氏か、多くのインフルエンサーが生まれ、個人はそれぞれの世界に籠るようになる。社会の連帯が薄れ「砂粒化」とも言える現象が起こるのである。

 例えば、かつては存在した多くの国民に幅広く支持を得る有名人や、誰もが口にする流行語、老若男女がまねをするポーズなどは生まれにくくなっている。昭和の時代には「歌は世につれ世は歌につれ」などと言われて、時代を象徴するような流行歌があった。最近は紅白歌合戦やレコード大賞を見ていてもその年を代表する歌がほとんど見当たらない。

 社会の「砂粒化」が進み、個人はどこにも属さず、いやたとえ属していても交わろうとしない。共同体験や常識を持たず、それぞれの価値観の下で生きていく。そんな個人の集合体が、この日本という国になりつつある。

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