還暦を越えて保育士に、漁師やタクシー運転手も 元プロ野球選手が語る“意外過ぎる”第二の人生に迫る

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人との巡り合いが仕事に

 引退後は、主に2軍コーチとして、斉藤和巳や川崎宗則らを1軍に押し上げた。

「コーチとしての6年を含め、17年も球界で禄を食んでこられたのは人との巡り合いが大きいとつくづく感じますね。コーチとして残れたのも、根本陸夫元監督が僕のことを“コイツは必要だからコーチで残せ”と言ってくださったから。実はコーチをやめた後も人の世話になっているんです」

 選手時代から知っている人が「うちで働かないか」と誘ってくれたのだ。福岡・中洲で有名な飲食店ビルを所有する会社社長だった。

 最初はその会社が扱う青汁を販売するが、翌年以降はビル管理を任された。

 テナントから水道やトイレなどが故障していると聞けば確認し、自分で修理したり、業者に依頼したりする。また警備会社と連携するために「警備員指導教育責任者」資格もとった。

キャッチャーで鍛えたデータ収集力

 ただ、在職16年目に体調を崩し入院。ビル管理の仕事は辞めて約2年養生した。回復して今後のことを考えた時、車の運転が好きなのでタクシードライバーはできないだろうかと思った。

 知り合いにタクシー会社の社長がいたので相談すると、面接を受けたらどうかと勧められた。それが現在所属する西日本自動車である。

 第2種運転免許を取得。2020年4月10日、タクシードライバー・デビューを果たした。しかし……、

「その3日前に新型コロナの影響で、福岡県に緊急事態宣言が出たので、街に人が歩いてないんですよ。エラい時にあたったなと思って。朝から夕方まで営業して5人ほど乗せただけで約5500円、翌日も1万7千円ほどの売り上げでした」

 そこからがキャッチャーで鍛えたデータ収集力の出番だった。ある乗客から「基本は在宅勤務だけど、出勤する場合は感染予防のために電車などは避けて、タクシーに乗れと会社に言われた」と聞き、それをヒントに朝7時ぐらいから、そのような客の乗りそうな場所を流し始めた。すると手が上がることが多くなった。

「それ以降はどんどん売り上げが伸びてね。頑張ればやれるやんと。天気、曜日、時間帯、場所別に一番手が上がるデータを蓄積していきました。毎日、ドライバーごとの売り上げが社内で公表されるので、それもモチベーションになります」

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