還暦を越えて保育士に、漁師やタクシー運転手も 元プロ野球選手が語る“意外過ぎる”第二の人生に迫る

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「引退後も球団に残っていた方がよかったな」

 仕事の傍らほぼ毎日グラウンドに立って、選手を鼓舞する。懸命に白球を追う後輩の姿を見ながら、よぎる思いがある。

「振り返ると、引退後もブルペンキャッチャーでもいいから球団に残っていたほうがよかったなって。もしいま、中日のユニフォームを着た自分にアドバイスできるとしたら、引退後も野球の仕事をすることを頭に置いて野球をやれと。そうすると、野球への取り組み方も違ってきますからね」

 最近うれしいこともあった。それは長男が誕生日プレゼントにキャッチャーミットをせがんできたこと。

「キャッチャーやれと言ったことは一度もないんですけどね。不思議です。一緒に買いに行きました」

 自分の中にあるキャッチャーのDNAを、あらためて意識した出来事だった。

タクシードライバーに転身

 同じキャッチャーでも、こちらはタクシードライバーへの転身だ。阪神、福岡ダイエー(現福岡ソフトバンク)で11年間プレーした岩切英司(61)である。福岡市の西日本自動車本社に現れた岩切の制服の右肩にはシートベルトで擦れた跡が見える。

「天候によって、人はどんな行動をするかを予測しながら走るプランを立てるんです。バッター心理を読んでリードしたキャッチャーの経験が役立っているかもしれません」

 岩切は社会人野球を経て、83年のドラフトで阪神から6位指名を受け入団した。

 プロ3年目、巨人戦で1軍初出場を果たすと、さっそく自慢の肩を見せた。“青い稲妻”こと、俊足・松本匡史の盗塁を刺したのだ。

 91年にトレードで福岡ダイエーに移籍。1年目はオープン戦から好調で、正捕手の吉永幸一郎がケガで離脱すると、岩切はスタメンで起用された。が、三塁送球の際に肩を痛めてしまう。当時30歳。手術をし、傷が癒えるのを待ってもらえる年でもなく、94年戦力外に。

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