還暦を越えて保育士に、漁師やタクシー運転手も 元プロ野球選手が語る“意外過ぎる”第二の人生に迫る
当時の日本の野球界は苦手だった
98年限りで引退した後は、指導者の道を歩み始める。広島、近鉄、阪神、オリックスで計11年コーチを務めるが、際立つのが韓国における、6年間のコーチ経験だ。
解説者をしていた2008年11月に、高知県でキャンプ中だった韓国のSKというチームのキム・ソングン監督(当時)と出会ったのが発端。コーチに来ないかと誘われた。その年、北京五輪準決勝で日本は韓国に敗退。韓国野球を知りたくて引き受けた。
「すごくやりやすかったですね。僕はストレートに自分の気持ちを表現したいほうなんで、監督にも文句を言ったりしていました。もちろんその分、しっかり仕事で返さなければクビです。選手の成績を上げるためにコーチとしての技術を磨かなければいけない。そのことに集中できたんです。日本の野球界は当時、誰かにゴマをすらなあかんとか、野球以外の人間関係に気を使わなければいけない風土が残っていて苦手だったんですが、韓国にはなかった」
勝ちを意識しすぎる
ただ、韓国での生活が6年目になった19年、さすがに疲れたなと思った。韓国からのオファーはあったが断わるつもりだった。帰国した時、兄貴と慕う会社役員に相談した。すると、
「もう57歳か。65歳になってもプロ野球のコーチができるか。難しいだろ。だったら、野球とは無関係の仕事をして、65歳になっても働き続けられる環境をつくったほうがいい。いまだったらまだ間に合うから。野球は仕事の合間に教えたらいいんじゃないか」
当時、すでに子どもたちに野球を教えることに喜びと目的意識を見いだし始めていた。
「いまの野球の指導者は、勝つことを意識しすぎる傾向があります。小・中学生の頃は、野球って楽しいということを教えないと。大切なのは高校に行って野球を続ける子をいかに増やすか。子どもはこれから減っていくし、野球人口も減るでしょう。指導者教育も含めて、自分にできることはしたいと思ったんです」
野球指導と両立できる仕事を探した結果、正田はシフトが組みやすい夜間業務に主に従事している。時に休みなく2週間ほど働いてはまとまった休暇をとり、野球指導に飛び回っている。
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