俳優・三浦友和という生き方 2年前のインタビューで語った「浮気についての名言」
俳優の三浦友和(71)がこのほど2022年度の「キネマ旬報ベスト・テン」助演男優賞を獲った。3度目の受賞で、実力派の名声をより確かなものにした。もっとも、ここに辿り着くまでの道のりは平坦ではなかっただろう。昭和最大のアイドル・山口百恵さん(64)と結ばれたことがプレッシャーになったこともあるはず。「俳優・三浦友和という生き方」を考える。
等身大の三浦友和は飾らない人
筆者は2年半前、「週刊新潮」に掲載された三浦友和のロングインタビューの聞き役を務めた。
人気商売である芸能人はあれこれとイメージを気にしがちだが、三浦は飾り気を全く感じさせない人だった。質問も一切制約せず、タブーなく話をしてくれた。
「俳優としての歩みは順調でしたね」と問うと、三浦は「現実にはそうじゃなかったですよ」と答え、こう続けた。
「30代から40代にかけては本当に生活ぎりぎりの収入しかなく、35歳で国立市に建てた家を売ろうと思ったことがあったくらい」(週刊新潮』2020年7月30日号)
28歳だった1980年の結婚が仕事に影響したという。
「結婚してからは青春俳優でもなんでもなくなるわけですから、オファーするほうだって、『何をやらせればいいんだよ』となっていくものなんです」(同)
確かに結婚前は夫人の山口百恵さんと共演したTBSの連続ドラマ「赤いシリーズ」や、同じく百恵さんと共演した「伊豆の踊子」(1974年)など青春映画への出演が多く、どちらも役柄は真面目な好青年が大半。既婚者で30代となった時、それまでのイメージを拭い去るのは簡単ではなかっただろう。
三浦は結婚後もフジテレビの時代劇「佐武と市捕物控」(1981年)などに主演したものの、本人は葛藤していた。自著『相性』(小学館)にはこう書いている。
「家を手放していたら、マスコミに格好の材料を与えていたでしょうね」(『相性』)
残念ながら、当時の流れからすると、確かにそうなってしまっただろう。百恵さんへの取材攻勢は結婚・引退後も続いていた。
望遠カメラを使った自宅内の盗撮や、体の弱かった百恵さんの母親への強引な直撃取材もあった。「百恵さん復帰」といった根も葉もなかった話も繰り返し報じられた。
飾り気のない三浦はインタビューで1980年代のマスコミもストレートに批判した。
「特に芸能マスコミはちょっとおかしかった。それを喜んで受け入れていた識者、視聴者もですけどね」(三浦、「週刊新潮」2020年7月30日号)
今はそんなマスコミはないはずだが、百恵さんへの世間の関心は衰えていない。歌が抜群にうまかった上、美しかったからだろうが、その生き方に昭和の日本人が胸を打たれたことも挙げられる。
母子家庭で育ち、母に楽をさせたくて14歳で歌手デビュー。目標を果たすと、初恋の人である三浦と結婚し、人気絶頂時の21歳で引退。まるで満開のサクラが瞬く間に散るようだった。
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