「数年前に彼のお父さんが謎の死を…」 京都タリウム殺人、容疑者の実家で起きていた不可解な動き
地元では有名な資産家
京都に戻った際、宮本容疑者が頼ったのが「おば」だった。
彼の知人が言う。
「一希くんの父親のきょうだいにあたる人です。離婚歴があり、茶道を嗜(たしな)んでいたと聞いています」
宮本容疑者の実家は地元でも資産家として知られている。修学院離宮から徒歩圏内の約250坪もの土地に建つ三つの一軒家。そこが彼の実家である。他にも京都市内で宮本容疑者の父親やおばを含む親族名義の不動産が複数確認できる。彼はいわゆるボンボンだったわけだ。
「おばが思い付きのような格好でお茶屋ビジネスを始めようとしていたんです。で、15年に親族の会社が宮川町の3階建ての木造家屋の物件を購入。京都に戻って仕事をどうしようかと悩んでいた一希くんにおばは“それならあなたがやりなさい”とそのビジネスを任せたのです。屋号は『弘庵』。名付け親はおばでした」(同)
夜な夜な会員制バーで飲み歩き…
宮本容疑者はそこで商才を発揮する。京都市内の複数のホテルと契約し、舞妓(まいこ)や芸妓(げいぎ)を派遣する事業を始め、安定的に収入を得るようになるのだ。観光客を相手にした舞妓ビジネスである。また、懐石料理を舞妓と楽しむ「舞妓ディナー」というサービスを先の宮川町などで始めた。
被害者の浜野さんと出会ったのは、舞妓ビジネスを展開しているこの会社だったという。
捜査関係者によると、
「宮本容疑者の会社にアルバイトとして入ってきたのが彼女だった。舞妓がホテルに派遣される際に付き添ったり、会場で司会や音響を担当することもあったようだ。宮本容疑者は既婚者でありながら、夜な夜な美貌の彼女と市内の会員制バーなどで親しく飲み歩く姿が確認されている」
日本列島がコロナ禍に覆われつつあった20年ごろから宮本容疑者の生活も大きく変化していた。
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