中3の村上宗隆を目覚めさせた先輩・吉本亮の助言とは? 長距離打者同士にしか分からないメッセージが(小林信也)
村上宗隆(ヤクルト)が年間ホームラン56本の日本人最多記録を達成し最年少三冠王にも輝くと、アマチュア時代の恩師がしばしばメディアに登場した。
九州学院高時代の坂井宏安監督(当時)は村上を入学直後から4番に起用した。素質を認め、期待を寄せて出場機会を与えたことは何より村上の才能を伸ばす追い風になっただろう。
1年夏の熊本大会、初戦でいきなりバックスクリーンに公式戦第1号を打ち込んだ。決勝の文徳戦まで22打数9安打、チーム最多8打点を記録し、甲子園出場に大きく貢献した。
もうひとり、中学時代を過ごした熊本東シニアの吉本幸夫監督が語る逸話も印象的だった。
熊本地震の影響で使えなくなった益城町の福田町民グラウンドはライトが狭く、80メートルちょっとしかなかった。反対にレフトは100メートル以上と広かった。それもあって、村上は左打者だが、
「レフトに引っ張れ、左中間にフライを打て」
という言い方で吉本は打撃を指導した。
その話を聞いて、すぐ大谷翔平を思い浮かべた。所属していた水沢リトルのグラウンドはライトが狭かった。おまけにフェンスの向こうは川。大谷が柵越えを打つと、ボールが水に浸かって一発でダメになる。総監督の浅利昭治が思わず、「引っ張り禁止!」と叫んだ。それがいまに続く左中間への強い打球の原点になっていると浅利から聞かされた。
大谷と村上、二人が少年時代に同じ助言を受けて反対方向への飛距離を身に付けた話は興味深い。
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