大谷カメラの原点 「プロ野球中継の父」と言われるテレビマン・後藤達彦氏の類稀なる発想とは

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受け継がれる後藤イズム

 今も後藤イズムは受け継がれている。現在の中継で7台のカメラを使う時、その場所と役割は次の通りだ。

〇1カメ:昔はバックネット裏に置かれていたが、1978年以降はバックスクリーンの横にあり、センターカメラとも呼ばれる。50代以上の方なら、バックネット裏の映像がメインだった時代をご記憶のはず。

〇2カメ:昔と同じで1塁側内野席の上段にあり、役割も一緒。常に打球を追う。

〇3カメと4カメ:3カメは位置も役割も後藤氏の考案したままで、さらに右打者の表情も写す。4カメの位置は三塁側ダッグアウト横。三塁側ベンチ内や左打者などを写し、役割は3カメに近い。

〇5カメ:バックネット裏から投手を撮る。

〇6カメと7カメ:局によって置き場所、役割に違いはあるが、内野と外野にそれぞれ据えられる。

 一塁側の3カメと三塁側の4カメが“人間としての選手”を写すところなどが後藤氏の発想のままだ。

 メインの1カメがバックネット裏だったころの映像は、投球のコースが視聴者に分かりにくかった。特に横に曲がる変化球である。一方、今のセンターカメラは投手を後ろから写し、ストライクゾーンがほぼ正面から見えるので、投球コースが分かりやすい。

 実は1955年の段階で、後藤氏はセンターカメラを考え出していた。試験的に使用もしていた。本格的に導入できなかったのは、捕手のサインが見えてしまうのを球団側が恐れたからだ。

 やっと球団側の許可が下りたのが1978年なのである。ストライクゾーンが丸見えになったことから、故・野村克也さんが配球を事前に読む「野村スコープ」も可能になった。

 三塁側ダッグアウト脇に4カメが据えられたのは1966年からだ。ある左打者を撮るのが最大の目的だった。1959年に巨人に入団し、1962年から5年連続で本塁打王を獲っていた王貞治である。

 これは、3月6日の侍ジャパン強化試合「日本代表―阪神」を中継したテレビ朝日の発想につながる。テレ朝は大谷翔平(エンゼルス)のみ追う「大谷カメラ」を用意した。ネクストバッターズサークルにいる大谷まで撮り、画面の隅で映した(ワイプ映像)。大スターはカメラを増やす。視聴者サービスは進化を続けている。

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