読売新聞の渡辺恒雄は、なぜ毎日新聞の西山太吉のために証言台に立ったのか? 報道の自由が問われた「西山事件」秘話
友人関係でありライバル関係でもあった二人
元毎日新聞記者の西山太吉氏が2月24日、91歳で逝去した。
西山氏は1970年代初頭、日本とアメリカの沖縄返還交渉の裏で結ばれた「密約」をスクープ。その密約とは、本来アメリカ側が支払うべき「軍用地復元補償費」を日本政府が肩代わりするという内容だ。しかし、西山氏は国家公務員をそそのかして機密を入手した罪に問われた。
「外務省機密漏洩事件」、通称「西山事件」と呼ばれるこの事件の裁判で、読売新聞の渡辺恒雄氏は、西山氏の弁護側証人として法廷に立った。二人は当時、記者として友人関係でもあり、ライバル関係でもあった。
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逮捕当初、西山氏を擁護する論調が強かったメディアの報道姿勢も、機密文書の入手方法が明るみに出ると一転、批判が噴出することとなった。外務省の女性事務官と西山氏が「ひそかに情を通じ、これを利用して」機密文書を手に入れたと、起訴状に明記されたからだ。こうした中で開かれた「西山事件」の裁判で、なぜ渡辺氏は法廷に立ったのか?
今年1月に刊行された『独占告白 渡辺恒雄』では、著者のNHKチーフ・プロデューサー・安井浩一郎氏が、沖縄返還と「西山事件」の経緯、渡辺氏の裁判証言について詳細に記述。事件に関連する渡辺氏と、生前の西山氏へのインタビューも収録されている。二人の発言からは、メディアの役割に対する問題意識が浮かび上がってくる。以下同書より一部を引用する。
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メディアは権力を監視し、国民の知る権利に応えるべき
渡辺氏は西山氏の裁判で、政府が隠そうとする情報を記者が取材で入手することの重要性をこう語っている。
(渡辺氏)「我々がしばしばある種の情熱を持って取材、速報を争うという場合、外務省側の発表を待っていたのでは、当然国民に知らされなければならない交渉経過が永久に報道されずに終わってしまう。また、外務省の交渉にあたっている当事者が、いわゆるイデオロギー外交的な立場から、自分たちの理念とか政治的な立場から、ある種の方向に交渉を引きずっていくことがしばしばありましたし、そういうおそれを感じました」
近年の政治状況の中でも、公文書の改ざんや秘匿が幾度となく問題となったが、メディアは政府の持つ機密情報を積極的に取りに行くべきだと、渡辺氏は主張する。
――我々メディア・ジャーナリズムは、いくら機密と彼らが主張しようとも、政府が持っている機密を色々な手を使って取りに行かなければいけないのでしょうか。
(渡辺氏)「取りに行かないと駄目なんだよ、それは。何をやろうと」
――その努力を怠ると、マスコミの権力の監視機能がなくなる…
(渡辺氏)「そういうことだ、そういうことだ」
――それは失ってはいけないということですよね。
(渡辺氏)「そういうことだ。だから場合によっては、外務省の知らない外交もあるのだから、そういうことも知らなきゃいかんし。だから肝心なのは、実際にやっている人を掴むことだよね」
有力政治家との昵懇な関係で知られる渡辺氏だが、メディアは権力を監視し、国民の知る権利に応える必要があると力説している。
一方の西山氏は、渡辺氏が証言台に立った経緯について、こう振り返っている。
(西山氏)「弁護団が、『この裁判は取材・報道の自由、知る権利が問われている。報道の実態についてのメディア側の証言者が必要だ』と私に言ってきた。それで私は、それは第一に渡辺恒雄であると言いました。一番親しくしていて友情もあったし、報道のあり方についても明確な考えを持っているし、外務省でも机を並べて取材していましたからね。私の行った報道について、彼の良識は十分理解をしてくれると思いました。
取材実態に照らして考えても、全く妥当で正確な証言だと思いますよね。だからこそ彼が証言を終えたときに、傍聴席からも拍手が沸き起こった。何ら隠し立てることなくありのままを述べてくれたわけで、非常にいい証言だったと思います。あのときの社会環境からいって、証人としてよく出てくれたなと思いましたよ。よくぞ参加してくれた、よくぞ助けてくれたと、そっちの感情のほうが強かったですね」
記者としてライバル関係にありながら、互いの実力を認め合っていた渡辺氏と西山氏。立場は違っても、二人は「報道の自由」については同じ考え方を持つ同志だったのだろう。
西山氏は昨年秋、著者の安井氏が連絡を取った際、ジャーナリズムの役割が弱くなっていることを、電話口で深く憂慮していたという。
戦後政治史に足跡を残した人物がまた一人、この世を去った。