柔道・大野将平 パリ五輪不出場も「引退ではない」 指導者目指し「今後はもう少し優しい顔も見せたい」

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 3月7日、柔道男子73キロ級でリオデジャネイロ大会と東京大会の五輪2連覇を果たした大野将平(31)が、自身の去就について所属する旭化成の本社(東京・有楽町)で会見を行った。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

サウナが好きなので

 大野は日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修事業で2024年の年明けから2年間、イギリスに留学、英語や指導法を学びながら欧州の柔道を見聞するという。今後、オリンピックや世界選手権などの国際試合には出場しない。

 会見で大野は「柔道家に引退はない。一生修行だと思っています。『引退』とか『一線を退く』という小さな枠組みでとらえていただきたくない」と強調した。

 東京五輪後の大野は、昨年4月の全日本選手権(階級無差別)に挑戦するのみで、パリ五輪の代表選考にも関わる12月のグランドスラム大会も欠場していた。全日本柔道連盟(全柔連)の指定強化選手からも外れ、去就が注目された中で開かれた会見だった。

「73キロ級だし、サウナが好きなので、(会見に)3月7日を選んだ」と会見日の設定にもこだわりを見せたことを明かした。

 イギリスに渡る理由については、「山下(泰裕)会長に勧めていただいた。中学入学時に親元を離れて苦労をした経験があったので、セカンドキャリアに向かうにあたって、もう一度自分自身に苦労の経験をという思いもあり決断した」と話す。

 現役生活に関しては、「ヨーロッパの柔道の楽しさや違った関わり方が見えてきたら、もう一度試合に出るかもしれない」と含みを持たせ、所属する旭化成で「プレイングコーチ」となることを明かした。

先輩・海老沼匡との熱戦

 山口県出身の大野は中学の時に上京し、「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さん(1967~2021)らを生んだ柔道私塾の名門「講道学舎」に進んだ。会見で大野は、当時の心境を「あまりの厳しさに、来るところを間違えたと思った」と振り返った。

 世田谷学園高校2年の時にインターハイで優勝。天理大学から旭化成へと進み、めきめき力をつけた。卒論のテーマにもなった「大外刈」と「内股」が武器。2階級上げても金メダルが取れると思われる抜群のパワーも備え、ポイントを稼いで逃げて守るのではなく、がっちりと両腕で組み合い、どこまでも一本を狙う正攻法を貫いた。

 大野の試合で最も印象的だったのは、2018年に大阪で開催されたグランドスラム。66キロ級でロンドン大会とリオ大会の五輪3位となった海老沼匡(33)との熱戦だった。大野にとって海老沼は、講道学舎と中学・高校の先輩。66キロ級から階級を上げた海老沼は一歩も譲らず、最後は大野が「隅落(すみおとし)」でねじ伏せた。

 それを問うと柔道塾や中、高で大野の先輩でもあった海老沼のことを多く語り出した。

「先輩で主将だったので、私は楽させてもらっていた。背中を追っかけていましたが、2013年の世界選手権(リオ)でオール一本勝ちし、ずっとその時の大野将平がライバルとして自分に降りかかった。大阪のグランドスラムやその後の延長戦になった選抜選手権など、海老沼さんとは何戦か闘った。そんな中でリオでチャンピオンになった2013年の自分自身を越えることができて、東京五輪で勝つことが当たり前のように感じられた」(大野)

 五輪連覇にあたっても「先輩・海老沼」の存在は大きかった。

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