メーテルのモデルは誰? 8カ月風呂に入らなかった下積み時代 松本零士さん、盟友が明かす秘話

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 後に漫画「男おいどん」や「銀河鉄道999(スリーナイン)」を手掛けることになる青年は青雲の志を抱き、九州の片隅から夜汽車で上京した。都心での貧しい四畳半暮らしを経て、ヒット作を連発。欧米のアーティストも憧れる大家となったのである。

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 松本零士、本名・松本晟(あきら)さんは1938年1月25日、福岡県久留米市で生まれた。

 父親は陸軍航空部隊のパイロットで44年、南方方面に出撃。残された一家は母方の実家、愛媛県・新谷村(現大洲市)に身を寄せた。

 終戦後、奇跡的に父親が復員し、家族は福岡県小倉市(現北九州市)に転居する。父親は公職追放の身で自営業以外に生計を立てるすべがなく、八百屋を生業とし、時に野菜を積んだ荷車を引いた。

「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長はこの父親がモデルだ。松本さんは自伝の中で、以下の話を披露している。

〈(父親から)飛行機を操縦中、高空で酸欠になりかけた話、夜空を飛ぶと星の海を飛んでいるようで上下の感覚がなくなるといったことから、惑星や星雲の存在、宇宙人の存在の確率、距離と時間の関係など少し難しい部分もあったが、いっぱい話は聞いた〉

 数々の物語は父親の語りに着想を得たといえよう。

8カ月も風呂に入らない生活

 地元の小中学校を卒業後、小倉南高校に進学。1年生で「漫画少年」の新人王を取ると、新聞で不定期連載を持つようになり、学費はすべて漫画で稼いだ。

 そして高校卒業後、18歳の松本さんは本格的にプロの漫画家になるべく上京する。東京・本郷にある家賃4500円の下宿の四畳半で暮らすようになるのだが、8カ月も風呂に入らない生活を続け、インキンタムシを患ったという。

 押し入れには、洗わずに突っ込んだまま放置された猿股の山。カビどころか、キノコまで生えた。そんな「大四畳半」の生活が初期の代表作「男おいどん」に結実したのである。

 少女漫画家の牧美也子(87)と結婚、6年間の下宿暮らしにも別れを告げる。東京・大泉学園に居を移した松本さんは、いよいよ「宇宙戦艦ヤマト」のアニメ制作や「銀河鉄道999」の作劇にのめり込んでいく。

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