「西山事件」外務省女性事務官「悔恨の手記」に綴られていた悲痛な叫び 「西山記者と毎日新聞は私の最後のトリデである家庭までも破壊した」

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外務省をやめてもらう

〈昭和四十七年三月、「外務省機密文書漏洩事件」が新聞で報道され始める。翌日、Aさんの耳に「いま問題になっている重要書類は、安川審議官が見る前に持ち出されたものだ」という話が伝わってきた。その翌日の未明、自宅で待機していたAさんに西山氏から電話が入った〉

「私の質問に答えて下さい。いま問題になっている(外務省機密文書)事件に私は関係あるのですか、ないのですか」

 いつも尊大な西山記者も、この時ばかりはややおどおどしていた。

「オレのちょっとしたミスだった。オレはいまの君を心配している。ともかく君には即座に外務省をやめてもらう」

「外務省をやめてもらう」と聞いて、私は跳び上がった。

「やめる? やめたら困るんです。そんなことはできません。私には主人がいるんです」

 と、ほとんど叫んでいた。病身の夫はやむなく私の細腕を頼りにしているのである。いまやめたら、いったい二人はどうなるのか。しかし、西山記者はやや冷静に、

「ともかく外務省はやめてもらう。君のことは社をあげて考えている。政治部長も動いている。退職金もこっちで考える」

 電話を切った私はすこぶる興奮しており、夫はそばでその私をじっと見つめていた。

 私は包み隠さず、ことの一切を夫に話した。夫は決して取り乱さなかった。むしろ私をなぐさめるように、

「そうなってしまったことはもう仕方ない。まず退職届を出してすべてを安川審議官にお話しし、彼の指示に従いなさい」

 といってくれた。

〈翌朝、真実を告白したAさんに安川審議官は「残念だけど……、非常に残念だけど……、西山を君に近づけたぼくが悪かった。ぼくから記事が取れないものだから、彼は君をねらったのだ」と語った〉

 退職届は安川審議官があずかって下さったが、翌日、正式な始末書も提出した。始末書は東京駅で男の同僚に渡したのだが、その帰り、うっかり間違えて山手線に乗り、日暮里で降りた。この時、フラフラと電車に飛び込みかかったが、夫のことが頭をはなれなくて、結局、自殺は思いとどまった。

 警視庁に出頭したのは、安川審議官のご指示による。私は警視庁に行く前に、もう一度西山記者の考えを確かめようと、電話で連絡をとった。西山記者は、私が警視庁に出頭すると聞いてびっくりしたようだった。そして、西山記者はこういった。

「社をやめても君を助ける。しかし、警視庁に行くのなら、取り調べに対してはこういってくれ。君がオレに渡した書類は三通。渡した場所は外務省の中、いっしょに食べた食事は渋谷で一回、と……」

 私はほんとにどうかしていた。また西山記者の口車に乗せられ、警視庁での取り調べに対し、最初は彼の指示どおりに話してしまった。しかし、そんなウソはたちまちばれてしまった。

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