なぜ日本の高齢者は不幸なのか 千人超の最期を診た医師が語る「幸福な老後」の作り方

ドクター新潮 ライフ

  • ブックマーク

一種の虐待

 実際、普段から寝たきりで意思疎通が図れず、意思決定能力のない方が救急搬送されてきた場合、これ以上の治療は「延命措置」に過ぎないのではないかと感じながらも、「生命期間の延長=幸福」という死生観に基づき、「どんな命も救わなければならない」として、医療行為を施すことが多い現状があります。

 例えばフレイル(虚弱)の状態にある超高齢な患者さんだと、心肺停止の状態で運ばれてきた場合、他の臓器も弱り、複数の病気を抱えているケースがほとんどです。そうした方に心臓マッサージをすることが、果たして本当に適切な治療といえるのか疑問です。胸部を強く圧迫することで肋骨を何本も折ってしまうこともあり、ご本人に多大なる苦痛を与える。

 また、蘇生したとしても再び元気を取り戻して健康に生きられる確率はとても低いと言わざるを得ません。過激に聞こえるかもしれませんが、そのような状況の方を、肋骨を折ってまで生かすのは一種の虐待ともいえるのではないでしょうか。

 しかし、救急医療の現場に運ばれてくるケースでは、ご本人の意思を確認できない場合が多く、ご家族が「生命期間の延長=幸福」と思い込んで医師に心臓マッサージを頼む。それが、ご本人が望んだ最期かどうかも分からないのに、ただ「死なせない」ためだけの延命措置……。これが日本の高齢者を幸せにしているとは、私にはなかなか思えませんでした。

「生命期間の延長=幸福」という死生観

 もちろん、死にまつわる価値観も多様であるべきですから、人により何が延命措置なのかも変わります。問題なのは、本当は望んでいないのに「ただ生かされる」ことが幸福なのかという点です。

 90歳の施設入居者がケーキを食べることも許されずに生き続けることが幸せなのか。コロナに罹ったら大変だからと、次にいつ行けるか分からない旅行を禁止され続けて生きることが幸せなのか――。

 正解は一人一人異なりますし、環境や社会によっても変わってきます。少なくとも「生命期間の延長=幸福」という一つの死生観だけに支配されるべきではないでしょう。

 もともと重篤な病気を患っている80代、90代の施設入居高齢者に苦痛を伴う医療行為を施し、また施設に返す。そしてほどなく体調を崩して再び運ばれてきて、医療行為をしてまた施設に戻す。ご本人は苦しみ、付き添う家族も疲弊しているのは見るからに明らか――。この医療行為が一体誰を幸福にしているのだろうかと、救急医療の現場で疑問を感じてきたのは私だけではないと思います。

 従って、幸福感の低い高齢者を抱える日本は、改めて死生観を見つめ直す必要があると思います。そのためには「準備」が大切です。救急搬送され、最期が迫っているなかでしっかりと意思表明できる人は多くありません。

次ページ:人生最終盤の味わい方

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。