「文化庁芸術祭」終了に“伝統芸能”が猛反発 「伝統文化の継承と発展を阻害」
戦後日本の芸術活動を支えてきたひとつが「文化庁芸術祭」だ。昭和21年秋に文部省(当時)の旗振りでスタートし、演劇をはじめ、音楽、舞踊、大衆芸能、テレビ(ドラマ・ドキュメンタリー)、ラジオ、レコードといった各部門で顕著な功績を収めた人物らを表彰し、大賞(賞金60万円)、優秀賞(30万円)、新人賞(20万円)を贈ってきた。
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過去には文学者の三島由紀夫が「戦後演劇史上最高傑作」と評された戯曲「サド侯爵夫人」で演劇部門賞を受賞。半世紀を優に超える由緒正しき文化賞として親しまれてきたが、2月の贈呈式を最後に役目を終えた。
文化部記者が言う。
「毎年、秋に開催され、受賞者が決まると新聞やテレビが大きく報道したものでした。ところが時代とともに国民の関心が薄れ、危機感を強めた文化庁は、数年前から芸術祭としてのあり様を模索していたのです」
強い異論の声
文化庁は昨年8月に芸術祭の終了を発表。その理由を〈来年度(令和5年度)以降は優れた芸術文化活動を行う個人を顕彰する制度をより充実させる方向で検討します〉と説明した。同時に昭和25年から続く「芸術選奨」に一本化する方針を明らかにしたが、
「あまりに突然かつ一方的な発表で、いまも芸術祭の審査員たちから強い異論の声が絶えません。というのも、文化庁は芸術祭に関する改革案について、審査員たちにヒアリングを行っていたからです。当然ながら、関係者は芸術祭の存続が前提と受け止めていましたから、突然の終了の決定は寝耳に水だったんです」
とくに、伝統芸能に従事する関係者たちは猛反発。
「日本には能楽や日本舞踊などを顕彰する賞そのものがあるようでない。人間国宝に認定されるほどの大功労者が“芸術祭で賞を取った時が一番うれしかった”と振り返るほどで、この受賞は中堅や若手の目標の一つになっている。それだけに、芸術祭の中止は伝統文化の継承と発展を阻害することにつながると、審査員の有志たちが再考を促す要望書を文化庁に提出したほどですよ」
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