開幕わずか15試合で辞任も…あまりに“超短命”に終わった「監督列伝」

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「赤ヘル」生みの親

 今年のプロ野球は、3人の新監督と15年ぶり復帰の阪神・岡田彰布監督が1年目のシーズンに臨む。就任初年度は、よほどのことがない限り、シーズン終了まで任務をまっとうできるはずだが、過去には1年目のシーズン途中に辞任する羽目になった指揮官もいた。【久保田龍雄/ライター】

 実際に指揮をとった監督の中で史上最短の辞任となったのは、史上初の外国人監督として知られる広島のジョー・ルーツである。

 1975年、3年連続最下位に沈んだチームの再建を託されたルーツ監督は、「チャレンジ」をモットーに大型トレードやコンバート、“赤ヘル”の導入などでイメージを一新、「私は1シーズンを広い視野で見たい。いかに良いシーズンを終えられるかだ」と上位進出に意欲を燃やした。

 ところが、皮肉にも開幕からわずか15試合目、4月27日の阪神戦がラスト采配となる。ダブルヘッダー第1試合、8回1死一、三塁のピンチで、打者・掛布雅之に対し、佐伯和司がフルカウントから外角ギリギリのコースに投じた球を、松下充男球審に「ボール!」と判定されたことがきっかけだった。

“ルーツの遺産”

 開幕以来、不利な判定が相次ぎ、我慢も限界に達したルーツ監督は、100キロの巨体で松下球審を本塁からネット裏近くまでグイグイ押し込んだ。竹元勝雄一塁塁審が両者の間に割って入ったが、体を突かれたと勘違いしたルーツ監督が肘で2、3度突き返したことから、退場が宣告された。

 だが、ルーツ監督は従おうとせず、本塁上にとどまったまま。審判団は、ネット裏で観戦中の重松良典球団代表に説得を依頼したが、この現場介入がグラウンドの全権を任された指揮官のプライドを傷つけた。ルーツ監督は「後任(の監督を)決めときなさい」と告げると、第2試合の指揮をとることなく、球場をあとにした。

 その後、球団側の慰留に対し、ルーツ監督は「チームのことを考えて去る。日本の習慣により理解を示す人が監督になるべきだ」と答え、4月30日、正式に退団した。

 結果的に、この電撃辞任が、6勝8敗1分と今ひとつ波に乗れなかったチームのカンフル剤となる。新監督に就任した古葉竹識は、機動力を生かした緻密な野球を推進し、球団創設26年目の初Vを実現。志半ばで退団した前任者にちなんで、“ルーツの遺産”と呼ばれた。

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