【袴田事件】死刑執行を停止させた森山法相発言 その裏にあった巖さんと社民党議員との珍妙な会話

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米を一粒ずつ洗って食べる

 政治家たちも巖さんを支援してきた。無実の罪で死刑になりそうな人を救うのに自民党も共産党もない。

 現在、超党派の「袴田巖死刑囚救援議員連盟」(塩谷立会長=73・自民党・衆院議員)が組織され、鈴木貴子衆院議員(37・自民党)が事務局長となって支援している。鈴木さんの父親は言わずと知れた鈴木宗男参議院議員(75・日本維新の会、地域政党新党大地代表)だ。宗男議員は、国後島の日露友好施設などをめぐる贈収賄事件で「国策捜査による濡れ衣」で逮捕され懲役刑が確定し、刑務所生活を送った。自らの経験からも巖さんの支援に力を入れており、2007年の国会で当時の鳩山邦夫法務大臣(1948~2016)に巖さんの死刑執行をめぐる質問を浴びせていた。

 そんな中、早くから政治家として巖さんを支援してきたのは、元社民党の衆院議員で現在は世田谷区長の保坂展人さん(67)である。2021年10月に保坂さんを取材した。

 保坂さんは社民党の衆院議員だった当時、法務委員会で日本の死刑制度についての議論を進めていた。

「国会で取り上げたり主意書を出したりしていた98年頃、それを知ったひで子さんが議員会館を訪ねて来られました。彼女は単に『支援をしてください』と言うのではなく、『3年以上、東京拘置所に行っても面会できないんです。なんとかしてもらえないでしょうか』とおっしゃった。会えない間に健康や精神状態が悪くなっているのではないかなど心配でたまらない様子でした。袴田事件は有名なので、もちろんそれ以前から知っていました」(保坂さん)

 保坂さんが法務省矯正局に連絡を取り、巖さんの様子について聞き取りを始めると、「おかしいままなのですが日々安定している」というような言い方をされた。

「食事なんかでもコメを一粒ずつ洗って食べるので2時間くらいかかるとか、部屋をぐるぐる回って過ごしているんですが、それも規則性がある。騒いだり大声を出したりするようなことはない」ということだった。ところが、拘置所職員が「袴田さん、面会ですよ」と声をかけても、「袴田巖という者はおらん」と面会を拒絶するのだという。

面会を実現

 保坂さんは矯正局とやり取りを繰り返し「袴田さんは精神的に疾患があり、刑の執行停止になるレベルに至っているのではないか。何とか会わせてくれないか」と交渉を続けた。矯正局側も国会議員の要求を無視するわけにもいかない。協議の結果、ちょっと巖さんを騙すような案を考えたのだ。

「『面会です』と言うと出てこない。それで(独房の)畳替えをするということで、袴田さんをその間、別の部屋に行かせるようにした。そこにひで子さんと私と支援弁護団の人が待っていて会ったという形でした」(同)

 それは2003年3月10日、巖さんの67歳の誕生日の日だった。面会室で待っていると、職員に連れられてふらりと巖さんが現れた。ひで子さんが「今日は誕生日だね」と喜ぶと、巖さんは「そういう者はおらんのだ」と切り出したのだ。そして30分ほど意味不明なことを語り続けたという。

 当時70歳だったひで子さんはあまりしゃべらず、保坂さんが巧みに話し相手をした。保坂さんは「あなたは袴田巖さんですよ。裁判中ではないですか」などと言ったが話は噛み合わず、水掛け論になって巖さんがさっさと引っ込んでしまうと感じたため、「あなたはどなたですか?」と尋ねた。

 すると「無限歳々……」などなにやら呪文のようなことを言い出した。頃合いを見計らって保坂さんが「じゃあ、袴田巖さんという人はいつまでいらしたんですか?」と尋ねると、巖さんはこう答えたのだ。

「その男は自分が呑み込んだんだ。だから自分が全能の神なんだ。そのため金輪際、死刑になんかならないんだ」

 長期間、死刑執行の恐怖が続いた巖さんは、拘禁症状が悪化していた。悪化したきっかけは、拘置所で親しくしていた人の死刑が執行されたことだった。

 禅問答のような会話で保坂さんが「あなたはどなたですか?」と訊くと、今度は「私は東京国家調査所の所長だ。神が呑み込んだから袴田巖の死刑はない」ということを言っていた。「神の儀式で死刑は廃止された。拘置所も廃止された。だから心配はない」と言ったという。

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