タモリ倶楽部終了 40年間他の番組なら無理な企画が成立した3つの理由
テレビ朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」が3月末で終了することが発表された。SNSなどでは終了を惜しむ声が飛び交っている。「タモリ倶楽部」は40年も続いた桁違いの長寿番組であり、長年にわたって多くの人に愛されてきた。だから、熱心なファンが終了を嘆き悲しむのは当然である。
でも、それだけでなく、この番組を毎週見ていたわけではない人の中にも、終わることを寂しいと感じている人が多いような気がする。「タモリ倶楽部」はただのテレビ番組ではなく、その存在自体が人々の心の支えになるようなものだったのだろう。
「タモリ倶楽部」という番組において、企画の細かい内容や傾向には一定の変遷があるが、一貫して明確なコンセプトのようなものがあった。「タモリ倶楽部らしさ」と言えば、多くの人が思い浮かべる何かが確実にある。「ゆるい」とか「狭い(マニアックである)」といったことだ。
この番組は「流浪の番組」を名乗り、低予算を売りにしている。飾り気のない会議室のような場所で収録が行われたりする。MCのタモリも淡々とした態度を貫いている。
企画の中身もマニアックなものが多い。ほかの番組では取り上げないような超マイナー趣味を紹介したり、独特の切り口があったりする。もともとのターゲットが狭いと思われるようなものを、あえて見つけて面白がるようなところがあった。
独自の道
テレビ番組制作の世界では「成立」という言葉がある。企画の良し悪しを判断する際に「成立しているかどうか」ということが1つの基準になる。番組として成立していないというのは良くないことであり、成立させるためにどうするか、ということについてスタッフは知恵を絞る。
でも、「タモリ倶楽部」では、ほかの番組なら「成立しない」と言われて却下されるようなネタが、積極的に取り上げられるようなところがある。「そのテーマだけで30分の番組を作るのは無理だろう」と思われるような題材を選び、それを深く掘り下げていく。その姿勢だけは一貫していた。
それは決して奇をてらった逆張りではない。流行の逆をあえて狙っているわけではない。そもそも時代の流行など気にせずに、独自の道を進んできただけだ。
40年の歴史の中で、テレビ業界にも世間にもさまざまな流行があった。こういう企画がウケる、こういう現象が話題になる、といったことは各時代にあったはずなのに、「タモリ倶楽部」はそこは一切気にせず、自分たちのやり方を貫いていた。そのぶれない姿勢は一種の伝統芸のようだった。
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