僧侶、年商170億円の社長、現場監督も… 元プロ野球選手たちが語る驚きのセカンドキャリア

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ケガがきっかけで引退

 仏門に入った元選手もいる。巨人、日本ハムでプレーした藤岡寛生(56)だ。

 巨人の山本功児、淡口憲治、横浜の屋鋪要らが輩出した兵庫県・三田学園の出身。県大会予選で3試合連続本塁打を放つなど大型選手として将来を嘱望され、84年に巨人からドラフト2位指名を受けた。

 入団3年目の87年、期待通り頭角を現す。2軍のイースタンリーグで打点王を獲得したのだ。が、その後はケガに泣かされた。

「88年に肩をケガしてしまいましてね。重傷です。同じ頃、外野の守備で大ケガをした吉村禎章さんと一緒に渡米して手術したんですが、ちょうどいい感じでバッティングできていたので、悔しかったですね」

 90年、阪神戦で1軍デビュー。初打席は仲田投手(前出)で三振に倒れる。巨人在籍8年間の1軍成績は5打数1安打だった。

 93年に日本ハムに移籍するが、ここでも選手と激突し目をケガ。プレーに支障が出て、95年に引退した。

僧侶デビューの日

 実家は、由緒を遡ると1333年に開かれた草庵にたどり着くという神戸市内の古刹・照願寺。長男なのでいずれは僧侶になることは自覚していたが、「もう一花咲かせたい」と、6年ほどプロゴルファーを目指した。

 ところが01年、住職の父親が倒れたのを機に、寺を継ぐことを決心。通信教育を2年間受け、修行を積むことにした。

「僕は野球一筋で、お経を一度も唱えたことがなかったんです。うちは浄土真宗なので京都の西本願寺さんで修行して僧侶の資格をいただくんですが、基本のお経、正信偈(しょうしんげ)でつまずきました」

 それでも03年3月に僧籍を取得。お坊さんデビューは、亡くなったばかりの方の顔を確かめ、阿弥陀経を唱える「枕経」だった。

「人の死に顔を見るのは、小学校4年生の時に死んだ祖母以来で怖かったですね。野球より緊張して震えたのを覚えています」

 少し慣れた頃、JR福知山線脱線事故が起きた。05年4月、107人が犠牲になった。葬儀社からの紹介で、女子大生の葬儀と法要をすることになる。

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