一周忌・西郷輝彦さんの親友が明かす晩年 「4千万円の借金を毎月コツコツ返済してくれた」
歌手で俳優の西郷輝彦さんは晩年にがんを患って、オーストラリアでの治療に多額の金員を費やすなどした結果、借金にあえぎ、名前のごとく輝かしい芸能人生も暗転した。75歳で鬼籍に入ったその薩摩隼人を最期まで支え、寄り添ったのが、ある強力な理解者だった。
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〈好きなんだけど/離れてるのさ〉
おなじみの「星のフラメンコ」のほか「水戸黄門」の主題歌を歌ったことでも知られる故人の「しのぶ会」が、命日の2月20日、都内ホテルで開かれた。
「西郷君とは男と男の付き合いというヤツをしていた。俺が(後援会の)薩輝会を作ったんだ」
と、語るのは「しのぶ会」の発起人で、都内の運送会社「錦江」の社長・岩切壽三郎氏(76)だ。
「俺も西郷君も鹿児島出身。自分が鹿児島実業高校、彼は鹿児島商業高校でね。二人とも昔はヤンチャで、俺はその時から彼の名前を聞いていた。“イキのいいのがいるらしい”ってね」
酒豪で「泥酔しているのを見たことがない」
西郷さんは高校中退後に上京し、1964年に歌手デビュー。岩切氏がうわさに聞いた西郷さんと実際に面識を持つようになったのは、それから約35年後だったという。
「彼が鹿児島でドラマの撮影をしたんだけど、その制作会社の人間を通して本格的に知り合った。二人とも同郷だし、年も同じということですぐに仲良くなりました。よく飲みにも行った。酒豪でね。泥酔しているのを見たことがない」
その後、西郷さんが「地元に貢献したい」と言い出したことがきっかけとなり、
「『薩輝会』を始め、自分が会長になり、西郷君が歌うチャリティーコンサートも開催した。俺も地元での顔の広さを生かして、随分チケットをさばいたよ」
集めた金は県内の児童養護施設に直接寄付したほか、テレビやオモチャなどの形に変わって寄贈もされた。
「気取らない性格をしているから、養護施設を訪れると子供も懐いてね。彼が帰る時にはダダをこねる子もいたくらい」
そんな西郷さんだが、
「プライベートでは辺見マリ(72)と離婚後、90年に自身の事務所に勤務していた19歳下の女性と再婚し、娘3人をもうけました」(芸能担当記者)
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