頼んでもないのに偉そうに… コロナ禍の「お節介な医者」から離れる時期では(古市憲寿)

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 パターナリズムという言葉がある。保護者的統制主義とも父性的温情主義とも翻訳されるが、日本語でいう「お節介」にも近い。

 この3年間は、日本社会に「お節介」が跋扈(ばっこ)した時代だったといえるだろう。特に感染症の専門家なる人々のお節介はなかなかだった。

 専門家として新型コロナウイルスの流行を抑制したいのは理解できる。知見を社会と共有したいとの使命感に駆られるのもわかる。だがそのためには何をしてもいいのだろうか。

 2020年の流行の初期段階、専門家会議は法的位置付けが曖昧だったにもかかわらず、厚生労働省で会見を実施、自分たちが政策の主導権を握っているように見せることに成功した。

 さらに4月15日には「8割おじさん」こと西浦博さんが、「対策を全くとらなければ、国内で約85万人が重症化し、その半分が死亡する恐れがある」と発表、「42万人死亡」という衝撃的な数字はマスコミでも大きく報じられた。

 興味深いのは、西浦さんがこの数字を公表した理由として、今までの「パターナリスティック」なコミュニケーションを避けたかったと振り返っている点だ(『新型コロナからいのちを守れ!』)。

 厚生労働省のやり方は、事務連絡のように一方的に、地方へ病床数の確保等を求めるだけだった。被害想定は密室で共有されるだけで公表されることはなかった。これが「パターナリスティック」だったというのだ。

 そこで西浦さんは、厳しいシナリオやあり得るリスクを伝えることが必要だと訴えた。ここまではわかる。だが問題なのは、4月15日時点で、西浦さんが「42万人」というシミュレーションに至った計算コードを公開していなかった点だ。

 結果、パターナリズムを回避するつもりが、別のパターナリズムに陥ってしまった。専門家の発表する、検証しようのない「42万人死亡」という数字は、問答無用に人々を萎縮させる効果を持った。

 政治学者の丸山眞男は、自身の入院経験をつづった随筆で、安易に他者に同情することの危険性を説いていた(『丸山眞男集 第6巻』)。一般に患者は「弱者」であり、「かわいそうな存在」と思い込みがちだ。しかしそれは「患者だから安静にすべし」というお節介にもつながる。

 感染症の専門家たちは、まるで日本国の全住民を自身の「患者」か何かと勘違いしていたのかもしれない。

 2023年、遅ればせながら日本もコロナ時代を終えようとしている。2月8日の感染症対策アドバイザリーボードでは、学校の式典におけるマスクの着用について議論された。専門家の提出資料には、「一生に一度の行事である卒業式や入学式等の式典では、マスクを外して参加したいという気持ちも理解できる」という一文があった。この物言いも、「お医者様のアドバイス」と思えば納得できる。頼んでもいないのに、勝手に偉そうに振る舞ったお医者様からは、そろそろ離れる時期ではないでしょうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年3月2日号掲載

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