私が「障がい者の性介助サービス」を始めた理由…「輝き製作所」所長・小西理恵さんが語る
いろんな業種を転々と…
風俗嬢が「いろんな業種を渡り歩く」のはよくあることだ。21歳になった小西さんは、もっと効率よく、そして体に負担が少ない業種を探した。まず目をつけたのは「ストリッパー」だった。ステージの上で踊って裸体を見せるだけだと思ったからだが、
「当時は、その劇場で『まな板ショー』(ステージ上で男性と行為をすることを指す)があったんです。それは嫌だった。それで行き着いたのがアブノーマル、マニアックなお店だったんです……そうSMクラブです」
そのクラブではM女として良い時で一日に5万円を稼げた。その後、店長からまた別の業種のお店を紹介してくれた。
「いわゆるアブノーマルな趣向を男性が曝け出すところです。そのおかげか、お客さまとの距離が近く感じました。プレイ前に要望を聞くのですが、悩み相談で終わったことも……」
そうして働いていた小西さんだったが、80歳になっていた祖母がパーキンソン病を発症してしまう。30歳になっていた小西さんは実家に戻り、介護と向き合うことにした。
祖母の看取り
しかしその介護生活も長くはなかった。祖母は唾を飲み込むのも困難になり、入院することとなったのだ。医師は「胃ろうをして延命するしかない」と小西さんに告げた。しかし祖母はかねてより「延命治療だけはやめて欲しい」と言っていた。「なんで私がきめなアカンねん」と悩んだ末に、小西さんが下したのは「延命しない」という選択だった。
「医師からはめっちゃ『処置をすればまだ生きられるのに』と言われました。でもおばあちゃんをお家に戻して、来て下さるようになった訪問看護士の方が『後悔しないように一生懸命がんばろうね』と言ってくださったのには救われました」
祖母を看取ったことが、小西さんの人生での大きな出来事だったことはいうまでもない。それまで結婚を考えていた当時の彼氏との別れ(高校卒業後に同棲していた相手とはとっくに縁が切れていた)も重なって、彼女はいちど介護の道を進むことを決意した。
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