スモールビジネス創出で「一流の田舎」を作る――藻谷ゆかり(経営エッセイスト)【佐藤優の頂上対決】
中学受験からの疎開
佐藤 長野への移住は、どういうタイミングだったのですか。
藻谷 結婚当初から夫と、子供が生まれたら地方で育てたいね、という話はしていました。だから起業することは、地方移住へのステップでした。夫は私より1年早く金融関係のリサーチ会社を設立しています。その後、3人目の子供を授かり、長男が中学に入る前には移住しようと、場所を探し始めたんです。
佐藤 どんな条件で探したのですか。
藻谷 東京まで2時間以内で行ける範囲ですね。
佐藤 東海道新幹線なら浜松あたりまでですね。静岡は移住希望者が多い場所です。
藻谷 ただ東海道新幹線はどこまで行っても都市が続いていて、私たちには魅力的でなかった。東北新幹線なら1時間半で那須ですが、夫が湿気が苦手なのでパス。ちょうどその頃に開通した長野新幹線の沿線だと、軽井沢が1時間ちょっとです。ただ軽井沢は地価が高い上、高地で寒く湿気もある。だからその先の佐久平(さくだいら)や上田を車で走り回り、いまは東御(とうみ)市の一部となった北御牧(きたみまき)村を見つけたんです。
佐藤 上田と佐久平の中間あたりですね。簡単に土地が買えたのですか。
藻谷 幸いなことに当時の北御牧村は積極的に移住者を迎え入れようとしていました。地方を回って、眺めがいいからここに住みたいと思っても、農地だから家が建てられないということが多い。でも北御牧村は村長が村の存続をかけ、土地を宅地化して移住者を呼び込んでいたんです。
佐藤 移住した時、お子さんはそれぞれ何歳でしたか。
藻谷 長男が10歳で小学5年生、長女が9歳で小学3年生。次男は3歳です。
佐藤 お子さんに戸惑いはなかったのですか。
藻谷 土地を買い、家を建てていたのでわかってはいたはずですが、最初はやはり「なんでこんな田舎に」という思いがあったようです。それまでは新浦安駅から徒歩5~6分のところに住み、小学校までは5分とかからない。それが人口5500人の北御牧村だと徒歩1時間です。4キロの道をヘルメットを被り、朝7時から集団登校していました。
佐藤 以前のインタビューでは、中学受験をさせたくないと語られていました。
藻谷 ええ。長野への移住は、過熱する中学受験からの疎開という意味もありました。私は中学受験をしましたが、大学で「この人はすごいな」と思うのは、地方の県立高校出身者に多かったんですね。地方の有名高校ではないところからきた人の方が、自分で学ぶ力や、伸び伸び育ったからこその発想力、切り開いていく力があるのではないかと思った。夫も山口県周南市出身で、地元の県立高校で学んでいます。
佐藤 テレビドラマ化もされた、中学受験を描く『二月の勝者』というコミックがあります。そこでカリスマ塾講師がこう言うんです。「君達が合格できたのは、父親の『経済力』そして、母親の『狂気』」だと。
藻谷 そうかもしれませんね(笑)。
佐藤 藻谷さんの場合は、ご自身が大変な受験戦争を切り抜けられているから、かえって「学歴幻想」がないでしょう。
藻谷 ないですね。
佐藤 いま、都市部で中学受験をする小学6年生は、年間80万~90万円の塾代がかかります。私のまわりでは200万円近くかけている家庭もあります。しかも塾に通うだけではだめで、自宅学習を1日5時間はやっている。超難関校だと、高2レベルの問題が出ますから。
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