「ボキャブラ天国」でブレイク寸前だったのに…イケメン芸人が明かす「お笑いモンスターの中に一般人がいたようなものでした」
最初のコンビはデビュー直後から仕事殺到!しかし、全てを捨て逃走
令和のトップ芸人たちと同世代の「どーよ」は、平成の初期から劇場や深夜番組で揉まれ、テルのロバート・デ・ニーロものまねというヒットギャグも人気を博した。そんな「どーよ」は、なぜブレイクできずに解散してしまったのか。前編で紹介したテルに続き、後編ではイケメン芸人として知られ、現在はテレビ山梨の情報番組でメインMCを務めるケンキに話を聞いた。(元「どーよ」前編・後編のうち後編<2>)【華川富士也/ライター】
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【写真】イケメン芸人としてトレンディドラマにも出演していたケンキ、帯番組のメインMCを務める現在の素顔
そもそもケンキはどういうきっかけで芸人になろうと思ったのか。
「僕は1969年生まれで、本当に幸せな世代なんですよ。小さい時にドリフターズさんの『8時だヨ!全員集合』があって、漫才ブームと『オレたちひょうきん族』があって、とんねるずさん、ダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさんたちのお笑い第三世代が出てきて。お笑いが好きで、テレビにかじりついて見ていて、芸人になりたいけど、どうやったらなれるんだろうとずっと思っていました。ネットも養成所も無い時代でしたから」
父親はケンキをボートレーサーにしようと、毎週、浜名湖競艇場に連れて行っていたという。そこで見た人気芸人がケンキの運命を決めた。
「高校の時です。ゲストでとんねるずさんが来ていて、舞台上から客とケンカみたいになってるのに、爆笑に次ぐ爆笑だった。芸人さん、かっこいい! 絶対に芸人になりたい! と思ったんです」
高校卒業後の1年間で、「芸人目指して上京 → 挫折して帰郷し就職 → 会社を辞めて再上京」と紆余曲折があって、平成元年から渡辺プロに所属。6歳上の先輩芸人とのコンビ「MEN-Z-KAN」として活動した。
「4月に上京して、5月に初めてライブに出ました。ブッチャーブラザーズさん主催のライブでした。6月のライブですごくウケて、そこからもうテレビに出て、ABブラザーズさんと学園祭に出て、みたいな感じで、あっという間に仕事がバーっと来ました。その当時、一緒にやっていたのがホンジャマカさんです。その年の秋だったかには、対バンみたいな感じで、ホンジャマカさんとライブをやりましたね」
順調に見えたコンビだったが、1年少々で解散してしまう。原因はケンキと相方のいびつな関係にあった。
「僕が相方の弟子みたいな感じになって、相方が“知らない同士だから、なるべく一緒にいよう”と。夜、バイトや仕事が終わると相方の家に行って、何もなくても朝5時まで解放されなかったんです。それから家に帰って寝て、またバイトしたら相方の家……というのを繰り返す毎日。それに耐えられなくなっていました。でも、先輩だし文句を言える関係じゃなかった。営業に行った先で頭が“バーン”となり、“もう逃げるしかない!”とホテルから逃走しました」
決まっていたテレビや営業の仕事などを全て飛ばし、2週間後に坊主頭にして謝罪。コンビは解散、そのまま事務所も退所した。
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