「大人になったら一緒にお酒も飲もう」と約束したのに… 和楽器バンド・いぶくろ聖志を世界の舞台に導いた“恩師”との思い出
バンドブームの中のありふれた高校生
「和楽器バンド」のメンバーで、箏奏者のいぶくろ聖志さん。バンドでベースを弾いていた高校時代の彼が、武道館や世界の舞台に立つようになるまでには、いったいどんな転機があったのか。そこには、“恩師”とのささやかな時間があった。
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人生を左右するほどの転機は驚くほどドラマチックではないのかもしれない。ほんの些細なことが積み重なり、日常がわずかに変化する。その日常が積み重なるうちに、ドラマチックなほどの変化の渦中にいると気付くことになる。
私は箏(こと)の演奏者として生きているが、幼い頃から箏に親しんできたわけではない。家族は家で音楽を演奏することも歌を口ずさむこともほとんどなかった。そんな環境の中、高校へ進学した私はバンドでベースを弾きながら音楽で生きていくことに憧れていた。90年代バンドブームの中の、ありふれた高校生だった。
高校1年で人生の分岐点に
しかし、野望だけは広がっていた私は「音楽で生きていくからには日本だけではなく世界を視野に入れて活動したい」「日本人として世界で勝負をするのに日本の文化・音楽のことを知らないのは格好悪い」と思ってしまった。そんな時、女子限定だった箏曲部で男子部員の受け入れが始まった。高校1年の終わり、私は人生の分岐点に立っていた。
日本の伝統文化に縁のなかった私にとって箏は面白くて奥深く、まさに心の琴線を震わせる楽器だった。箏曲部自体も夏に行われる高校生の大会で日本一を目指している本格的な部活だった。私は1年の練習の遅れを取り戻すために毎朝、開門の8時前後に高校へ行き、5分でも多く練習時間を確保しようとしていた。早く開門する日もあり、用務員の気まぐれで生まれる5分程度の差が私にはとても貴重だった。
ある日、校長が毎朝7時30分に鍵を開けにきてくれるようになった。「おはよう」と門を開けてくれる校長の横を、「ありがとうございます」と足早に過ぎ去る。ただ繰り返されるあいさつが、私には最大の応援となっていた。やりたいことを受け入れてくれる人物の存在がどれほどの力となるか。大人になった今では、校長の行動にどれほどの忍耐が必要だったかよく分かる。
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