「認知症の母からもらった“贈り物”が」「ボケた父に感じた“哲学”」 表現者二人が体験した介護のリアル 高橋秀実×信友直子

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母が怒鳴っていた

高橋 うちの場合、大声出して暴れたりするのは父だと思っていたのですが、ご近所の方々に聞いてみると、母が怒鳴っていた、と。

信友 お母さまが怒鳴っているのは、高橋さんは見たことないんでしょう。

高橋 我々夫婦の前では決して母は怒鳴らなかったですよ。でも二人の時は、ものすごいことを言い合っていたんじゃないでしょうか。父は私に「どこ行っていたんだ、この野郎!」とか怒鳴るんですが、それは母からいつも言われていたセリフだった。認知症のせいで暴れるのかと思ったら、実は前から二人はこうやって罵り合っていたんです。信友さんのお母さんが「包丁!」と乱れているシーンは、私にはあまり違和感なかったな。なぜなら映画では認知症以前のお母さんも映っていて、すごくキレのいい感じだったから。それぐらいのたんかは切るだろうなと。

信友 私が乳がんの時、母はシャキッと娘を支えてくれましたからね。ボケても、人の性格は変わらない。

高橋 父も2020年に亡くなるまで根本的には変わりませんでした。その行動を見せてはいけない人に見せてしまうだけで、認知症だから人が変わったみたいなことはないんじゃないかな。

信友 そうですよね。母が認知症になってから、心配で東京から実家の広島の呉にちょくちょく帰るようになった。それで、今まで見ていなかった外面(そとづら)じゃない母を見てしまうことになったんですね。

高橋 認知症は対人関係、コミュニケーションの問題ともいえますね。

一度も自立しないまま

信友 お母さまが元気だった頃は、一人でお父さまのことを看ていたんですか?

高橋 ええ。だいぶ前から母には「親父やっぱりおかしいと思うよ」と言ってはいたんです。だって「今日は何日?」と聞くと、倉庫から数カ月前の古新聞持ってきて、一番上のを指して「これだろ?」って言うくらいですから。でも母は、「大丈夫、大丈夫」の一点張り。子供には心配させまいという一心だったんでしょう。

信友 介護サービスもお願いしないで? すごいですね。それで、お母さまが亡くなったから、高橋さんはお父さまと一緒に住むようにしたんですね。

高橋 そうです。とにかく父は何もしない。お金の管理もできないし、ごはんも作りませんから。放置したら死ぬんじゃないかと思いまして。

信友 結局、自立は一回もしないままだったんですね。

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