がん患者から発見された「不死の秘密」 寿命ハックのキーワード「テロメア」の正体に迫る
人類は古代から「不老不死」を追い求めてきたが、もちろん、これまでその方法を発見した人はいない。現代ではむしろ不老不死は実現不可能と考える人の方が多いのではないだろうか。
しかし、近年ではその可能性に新たな光が当たっている。ヒトゲノム解析が進むにつれ飛躍的に進んだこの分野の研究は、人類の寿命と健康、そして長寿の秘密を次々に明らかにしているのだ。昨年10月に放送の「カズレーザーと学ぶ。」(日本テレビ系)もこの「不老不死」をテーマで取り上げていた。
デンマークの分子生物学者、ニクラス・ブレンボー氏は著書『寿命ハック―死なない細胞、老いない身体―』の中で、この分野の研究の歴史から最新の研究成果まで紹介している。
20世紀以降、科学がいかにして「寿命」を攻略(ハック)しようとしたのか。それを学ぶうえで重要なキーワードとなるのが「テロメア」である。今回は、その正体について同書をもとに見てみよう。 (以下、同書より抜粋)【前後編の前編】
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不老不死の細胞の持ち主
1951年1月、ヘンリエッタ・ラックスという31歳の女性がメリーランド州ボルティモアのジョンズ・ホプキンス病院を受診した。彼女は子宮頸部に「しこり」を感じ、妊娠を疑っていた。しかし、そうではなく、医師たちは明らかな病変を発見した。彼女はガンだったのだ。間もなくガンは全身に転移し、その年の10月に彼女は亡くなった。
彼女がまだ生きていた頃、医師たちは生検(バイオプシー)に使った彼女の子宮頸部の細胞を研究室で培養して調べた。通常は不可能なことだ。人間の細胞は培養液の中では育たず、体の外に出すとすぐ死んでしまう。
しかし、彼女のガン細胞は増殖しているように見えた。医師たちはこの細胞が日々分裂するのを見て当惑した。
彼女が亡くなった時、彼女の細胞はまだ研究室で元気に生きていた。ここから先、話は込み入ってくる。彼女の細胞は培養が可能な初めてのヒト細胞株として科学界で注目を集め、関係していた科学者たちはその細胞を他の科学者たちと共有し始めた。しかし彼らは、ラックス本人からもその家族からも許可を得ていなかった。倫理的な判断は人それぞれだろうが、ジョンズ・ホプキンス病院は50年以上後に謝罪することになった。
重要なのは、彼女の細胞は今も生きているということだ。
ヒーラと呼ばれるこの細胞株は不死で、無償で共有されたため、今では世界中で使われている。彼女の死のわずか数年後には、ジョナス・ソークがこの細胞を使って世界初のポリオワクチンを開発した。以降も、ヒーラ細胞はガンの研究やウイルス学、基礎生物医学の分野で数限りなく使われてきた。
細胞が死なない理由
ヒーラ細胞が死なないわけを理解するために、しばし靴ひもに目を向けよう。靴ひもの先端にはプラスチックか金属の小さなパーツがついていて、ひもがほつれないようにしてある。それは「アグレット」と呼ばれ、老化研究に関する本とまったく無関係ではない。
人間の細胞は靴ひもメーカーが対処しているのと同じような問題に直面しているのだ。
細胞内のDNAは、染色体と呼ばれる長い糸状の構造物に入っている。この染色体の端は靴ひもの端と同様に、傷ついたりほつれたりすることがある。
細胞はこの問題を解決するためにテロメアと呼ばれるものを使っている。テロメアは、遺伝子の靴ひもについているアグレットのようなものだ。DNAの他の部分と同じ要素――ヌクレオチド――でできているが、他の部分と違って重要な情報を含んでいない。遺伝子は存在せず、ただ同じ配列が何度も繰り返されるだけだ。したがって、細胞がテロメアを失っても害はない。少なくとも短期的には。しかし長期的にはテロメアは細胞の寿命を決めている。
かつては、生物が年老いて死んでも、その細胞は不滅だと考えられていた。しかし、レオナルド・ヘイフリックという科学者が、人間の正常な細胞は一定の回数、分裂すると死んでしまうことを証明した。
今では「ヘイフリック限界」と呼ばれるこの現象はテロメアによって引き起こされる。誕生時の人間のテロメアは約1万1000個のヌクレオチドでできている。しかし細胞が分裂するたびにテロメアは少しずつ短くなっていく。そして、あまりに短くなるとDNAの働きが損なわれる。そうなる前に細胞は非常ブレーキをかけて分裂をやめる。
テロメアの短縮はこのようにして細胞を死に至らせる。仮に細胞がヘイフリック限界に達した後も分裂し続けると、テロメアを完全に失い、DNAはダメージを受けて結局、死んでしまう。
しかし、少なくとも一つ、解決策がありそうだ。テロメアを長くして、なくならないようにしたらどうだろう?
それは、いくつかの細胞が実際に行なっていることだ。人間はテロメラーゼという、テロメアを作る酵素を持っている。
テロメラーゼは染色体の先端でテロメアを伸ばす小さな分子機械と見なすことができる。細胞がテロメラーゼを利用するのは主に発生の時期だ。この時期には1個の細胞が短期間で数十億個の細胞へと成長する。膨大な数の細胞分裂が起きるので、誕生する前にテロメアを使い切ったりしないよう、テロメラーゼがテロメアを伸長している。ただし、発生の時期が終わると細胞の大半はテロメラーゼ遺伝子のスイッチを切り、不死ではなくなる。
ヒーラ細胞の秘密
ヘンリエッタ・ラックスのガン細胞が不死になった原因はテロメラーゼにある。
ラックスのガンを引き起こしたのはHPV18(ヒトパピローマウイルス18型)で、全世界の子宮頸ガンの原因の大半がこれだ。ラックスに感染する過程でこのウイルスはテロメラーゼを作る遺伝子のスイッチを入れた。つまり、ウイルスは細胞にテロメアを継続的に引き伸ばす能力を与え、その結果、細胞はテロメアを使い切ることなく分裂し続けられるようになったのだ。(略)
ところで、細胞を不死にすることと生物を不死にすることは同じだろうか? もし同じなら、テロメアが短くなるのを防げば寿命を延ばすことができる。
研究者たちはこの方法を研究し、生まれつきテロメアが長いマウスを作り出した。これらは通常のマウスよりも痩せているだけでなく、代謝が良く、年をとっても元気で、最終的に長生きする。
また、(略)テロメアを急速に短くする変異を持つ人は早く老化する。
そのような異常がなくても、テロメアは老化と関連している。
他のすべての形質と同じく、テロメアに関連する形質には個人差がある。テロメアが長い人とそうでない人が存在し、一生を通じてテロメアの減り方が遅い人もいる。デンマークで行われた6万5000人を対象とする研究では、テロメアの短い人ほど死亡率が高く、心疾患やアルツハイマー病などの加齢性疾患の罹患率も高かった。
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テロメアという寿命を延ばす、あるいは永遠にするための糸口は見えてきた。問題はそれをどう実現するかだ。そのために自らの身体で実験をした女性がすでに存在する。これについては【後編:自分の肉体で人体実験をして「不老不死」に挑んだ女性 気になるそのリスクと現在】でご紹介しよう。