【袴田事件】まもなく再審可否決定 「警察の捏造」と確信していた女性弁護士が明かすその手口

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穿けないズボン

 いよいよ3月13日に東京高裁の差し戻し審で再審の可否が決定する。

 山崎さんによると「高裁が弁護団に『(3月)13日か15日、どっちがいいですか』と選択肢を示してくれたので、早いほうを選んだ」そうである。決定時期についての連絡は「1カ月前には」ということだったが、かなり早い事前通知だ。「決定は3月の末かなと思った。こんなに早く通知がきてびっくりした」と山崎さんは喜ぶ。

 時計の針を半世紀戻す。

 差し戻し審の焦点は「5点の衣類」に付いた血痕の色の変化だった。事件の約1年2カ月後に味噌タンクの中から見つかったこれらの衣類は、巖さんの犯行時の着衣とされ、死刑判決の最大の証拠だった。犯行時の着衣ならば、巖さんが着られなくては意味がない。

 袴田事件の報道でメディアにたびたび登場するのが、巖さんがプロボクサー時代にマニラでデヴィッド・マーシング(フィリピン)と向き合って拳を構えた写真だ。それに次いで有名な写真がある。

 1969年5月から始まった東京高裁での控訴審の審理中に、巖さんが証拠となったズボンを穿く実験をしている場面の写真だ。実験は1971年11月20日、法廷の隣室で行われた。横川敏雄裁判長、高等検察庁の猪口民雄検事、斎藤準之助弁護士、上田誠吉弁護士らが立ち会った。

 巖さんはステテコの上からズボンを穿こうとしたが、サイズが合わず腿まで引き上げるのがやっとであった。前ファスナーを全開にしていたにもかかわらず、である。無理すれば入るというレベルではない。それを見た横川裁判長は「入らないな。もう、その辺でやめとけよ」と言ったそうだ。それでも検察官が無理に引き上げようとするとベリッとズボンが破れた。斉藤弁護士らは勝ったと確信したという。

 ところが、検察は「ズボンが縮んだ」「被告人が拘置所生活で太った」などと理屈をつけて、巖さんが犯行時に穿いていたズボンだと主張。結局、横川裁判長はそれを認めてしまい、1976年5月に控訴を棄却、静岡地裁の死刑判決を維持する。

「捏造に決まってるじゃない」

 2021年10月、筆者は袴田事件に早くから関わってきた元弁護士の田中薫さん(76)を取材した。

「1978年、日弁連の人権救済委員会に支援の申し立てが出され袴田事件を支援することになり、予備審査から関わったんです。一審の判決文から精査しましたが、もう、めちゃくちゃ。あんな判決文がありますか。完全に無罪を主張しているような文面なのに、結論だけ有罪で死刑になっている。熊本さんの付言(捜査批判など)との整合性なんかなく、支離滅裂です」(以下、田中さん)

「熊本さん」とは、静岡地裁の3人の裁判官の中でただ1人、無罪を主張した熊本典道氏(1938~2020)のことだ。

 巖さんは、80年12月に最高裁で死刑が確定し、81年4月に獄中から再審開始を請求した。1975(昭和50)年に弁護士になった田中さんは、再審請求審から巖さんの弁護団に加わった。

 5点の衣類について田中さんはこう述べる。

「事件から1年2カ月も経って発見され、犯行着衣がパジャマから(5点の衣類に)変更された。それだけで警察の捏造に決まっていると思いましたね。私は性格が乱暴だから(笑)、弁護団に入ってからも『あんなの捏造に決まってるじゃない』みたいに騒いでいました。しかし当時、先輩格の弁護士たちは『探偵小説や推理小説みたいなことを言うものではない。警察が捏造なんかするはずない』という感じでした。でもあとで小川さん(弁護団事務局長・小川秀世弁護士)が参加して、盛んに『捏造、捏造』と言い出したので意気投合していましたね」

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