会えば彼女に触れたくなる、だがその先は地獄… アラフィフ夫が出した結論をどう理解すべきか

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不倫と呼ばれる関係にはなりたくない

 彼女にはそのころ、中学生になる息子がいた。思春期のむずかしい時期の男の子がいるのに、「不倫と呼ばれる関係にはなりたくない。やましいことをしたら自分が許せなくなるから」と言った。翔太郎さんは「わかった」と言った。彼女の気持ちが手に取るようにわかったのだ。

 会えば触れたくなる、触れればもっと深い関係になりたくなる。だがその先には「地獄」が見えた。だから翔太郎さんと未優さんは、月に1,2回、仕事帰りに食事をするだけの関係だ。ふたりでデートをしたこともない。

「ふたりともたまたま土曜日に仕事があって休日出勤したことはあります。別々の仕事だったんですけどね。帰りに駅までの道を少し遠回りして、桜を見ながら帰ったことがあったなあ。その程度ですね。わざわざ家から出てきてデートすることはありません」

 デートしてしまったら、ふたりがかろうじて耐えながら引っ張り合っている緊張の糸が、きっと切れてしまう。ふたりともそれを痛いほど感じている。だからわざわざ会うことはしない。

「唯一、僕がしているのは、ふたりきりのときに『未優』と呼ぶことです。最初、彼女はそれにも抵抗したんですが、絶対に使い分けるからと説得して、会社では苗字を呼んでいます。万が一間違えて、職場で『未優』と言ったら、その瞬間、僕は終わり。そう思いながら日々、仕事をしています」

 かつて『恋に落ちて』(1984年)というアメリカ映画があった。それぞれ家庭をもつロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが恋に落ちる。愛し合っているが、どうしても深い関係にはなれず、別れを決意する。 ロバート・デ・ニーロ演じる男は妻に疑われるのだが、そのとき「もう終わったんだ。何もなかった」と告げた。すると妻は夫を平手打ちし、「そのほうが悪いわ」と言うのだ。 当時、それが大きな話題になった。肉体関係をもてばその恋はいつか終わるが、プラトニックのままだといつまでもひきずる。本当に好きだからできなかったことを妻は見抜いている。いや、深い関係になれなかったのは、お互いに勇気がなかったからだ。もし深い関係があったら、妻は許したのか……。

 今もそういった議論はある。翔太郎さんもその映画を観たことがあるという。

「実は未優を好きになってから、未優から観てと言われて観たんです。今の僕たちの気持ちにピッタリだった。僕はあの映画で泣きました。最後、あの映画ではふたりは結ばれるけど、僕たちの将来はわかりません。会うたびにせつないし、帰宅後は連絡をとりあわないようにしているので、夜中に急に声が聞きたくて悶々とすることもあります。それでも、僕の心をいちばんわかってくれているのは未優だし、僕が素直に自分を出せるのも未優。彼女以外には考えられないんです」

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