ピーター・バラカンが語る「高橋幸宏さん」 忘れられない81年「ロンドンレコーディング」、YMOの「CUE」をなぜ好きだったか
妥協はしない
坂本龍一さんも2022年6月、月刊誌「新潮」の連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」でステージ4の癌であることを明かした。
「僕も本当にいつまでの命か分からない。だからこそ、つまらない妥協はせず、一日一日で自分が納得できる生き方をしていくしかない。特に僕はフリーで仕事をしているから、家に閉じこもっちゃうことがあります。家で選曲したり、何か書いたりしていると、友達に会わなくなっちゃう。気がついたら何年も会っていない友達がいる。今のうちに会っておかないと、と思うようになりました。みんな同じような年齢になっているから、いつ死ぬか分からないものね」
前編【【高橋幸宏さんを偲ぶ】ピーター・バラカンがジャパン・タイムズの追悼記事に驚いた理由】
註1:2014年に「一夜限りのユニット」として結成された高橋幸宏 & METAFIVEが、15年にMETAFIVEと改名。メンバーは、高橋幸宏、小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井
註2:1981年5月に発売されたソロアルバム「NEUROMANTIC/ロマン神経症」収録曲。正式な曲名は「Something In The Air/予感」
註3:1981年に高橋幸宏と鈴木慶一が結成した音楽ユニット
註4:当時の社名は新興音楽出版社。1983年にシンコー・ミュージック、2004年にシンコーミュージック・エンタテイメントに改称
註5:1949年、イギリス出身で京都在住の詩人・作詞家・作曲家。YMOのほかエリック・クラプトン、ボーイ・ジョージの歌詞も手がけた
註6:1951年、イギリス出身の音楽プロデューサー。スティーヴィー・ワンダー、フランク・ザッパなどの楽曲でエンジニアリング(後にプロデュース)を担当
註7:1951年、横浜市出身のシンセサイザープログラマー。78年に坂本龍一のソロアルバム「千のナイフ」に参加したことがきっかけとなり、YMOのレコーディングにマニピュレーターとして参加。「4人目のYMO」と呼ばれた
註8:1947年、京都市出身のミュージシャン、プロデューサー。65年にザ・フォーク・クルセダーズを結成。72年に結成したサディスティック・ミカ・バンドでは高橋幸宏がドラマーとして参加。2009年10月、死去
註9:1955年、青森県出身のミュージシャン。79年、YMOのワールツアーにサポート・メンバーとして参加。主な楽曲に「春咲小紅」、「ラーメンたべたい」など
註10:1948年、東京都出身のシンガーソングライター。69年、細野晴臣、松本隆、柳田ヒロらとエイプリル・フールを結成。75年、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆を中心に結成されたティン・パン・アレーの演奏によるアルバム「HORO」をリリース。2022年4月29日、S字結腸癌の転移による肝不全で死去
註11:1944年、ロンドン出身のギタリスト。エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人とされている。2023年1月10日、細菌性髄膜炎で死去
註12:1948年、福岡県出身のギタリスト。78年、シーナ&ザ・ロケッツを結成。同年、YMOのライブセッションに参加。79年にYMOの協力でアルバム「真空パック」を制作。2023年1月29日、膵臓癌で死去
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