ピーター・バラカンが語る「高橋幸宏さん」 忘れられない81年「ロンドンレコーディング」、YMOの「CUE」をなぜ好きだったか

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日本酒ラッパ飲み事件

 高橋さんは美食家でもあり、美味しい料理とお酒を愛したという。ただ、バラカンさんと一緒の時はレコーディング中ということもあり、グルメを満喫というわけにはいかなかったようだ。

「だから僕が近くの中華レストランに出向いて料理を買い、スタジオに持って帰ってみんなで食べたりしました。お酒も酒豪という感じではなかったけれど、好きで普通に飲んでいましたね。酔ってもあまり変わらないというか、変わるまで呑まなかったんじゃないのかな」

 一方、バラカンさんは高橋さんの前で泥酔してしまったことがあった。

「『WHAT, ME WORRY?』が完成して、スタジオで最初から最後まで再生したんです。その頃、僕はフル回転で仕事をしていて、アルバム制作が終わりを迎えてホッとしたんでしょう。日本酒をラッパ飲みしてしまって泥酔し、全く使い物にならなくなってしまった。最後は幸宏と彼の奥さん、そして僕の女房が僕を台車に乗せてくれて、みんなが泊まっていたアパートに戻してくれたんです。翌日に起きた時は自分でも分かるぐらいに部屋中が酒臭くて、もう大恥をかいちゃった。幸宏は笑っていましたけどね(笑)」

鮎川誠の死

 バラカンさんは「幸宏と一緒に過ごした時間は、たかだか2年間でした」と振り返るが、非常に密度の濃い時間だったことは言うまでもない。

「YMOの3人の中では幸宏と最もタッグを組み、僕が望んでいたことではなかったけれども、曲作りの現場を共に経験しました。そして自分にとって思い出になるような楽曲を一緒に作った相手でもあります。今、僕の記憶に最も残っているのは、その思い出ですね」

 高橋さんは1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなった。近親者のみで葬儀が営まれた後、15日に所属事務所が発表した。

「僕は71歳で元気ですが、もしかしたら突然、心臓発作で死ぬかもしれない。実際そういう人は大勢います。日本でも海外でも、立て続けに70代のミュージシャンが亡くなっている。去年は小坂忠(註10)で、つい先日はジェフ・ベック(註11)と鮎川誠(註12)。誠さんは非常に親しいというわけではなかったけれど昔から知っていましたし、ラジオやイヴェントで一緒になることも何度かありました。彼の癌のことは聞いていなかったから驚きました」

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