ピーター・バラカンが語る「高橋幸宏さん」 忘れられない81年「ロンドンレコーディング」、YMOの「CUE」をなぜ好きだったか
パリでの運転
バラカンさんがヨロシタミュージックに入社したのは1980年の年末。年が明けるとすぐフランスに飛ぶことになったという。
「加藤和彦(註8)が新しいアルバムを、パリ郊外に建つお城みたいなスタジオで制作することになったんです。これが『BELLE EXCENTRIQUE(ベル・エキセントリック)』(81年7月)ですが、YMOの3人と矢野顕子(註9)が参加することになり、僕も付いて行くことになりました。お城だから宿泊施設もあって、みんなそこに寝泊まりしたんです。そして毎日のように誰かが『あれが欲しい』、『これが欲しい』と言うので、僕が車で40分くらいかけてパリに買い物へ行ってました」
当時、高橋さんは「ルノー・5」という自動車に乗っていた。そこで同じものをレンタカーで借りたという。
「もちろんインターネットもGPSもない。地図を片手に慣れないパリの街を運転するわけです。おまけに当時は飲酒運転が大目に見られていた時代だったので、特に夕方になると危険な場面が増えるんです。さらに、凱旋門は12本のアヴェニューが合流していて、入るとなかなか出られない。4周ぐらい回ってようやく抜け出して、非常に緊張したことを覚えています(笑)」
ロンドンを愛した高橋幸宏
フランスでのレコーディングは1週間程度で終わり、そこから高橋さんとバラカンさんはロンドンに飛んだ。
「ロンドンには1カ月も滞在するわけですから、ホテル暮らしではなく、現地でアパートを借りました。とても広かったので、幸宏の奥さんも一緒だったし、他のミュージシャンもときどどき遊びに来ていました。とは言っても、毎日、スタジオに出向くわけですから、アパートで過ごす時間はそれほどありませんでしたね」
アルバム制作ともなれば緊張も桁外れだろう。さぞかし高橋さんはストレスに悩まされたのではないかと想像してしまうが、バラカンさんによると実際は全く逆だったという。
「幸宏はレコーディングの仕事とロンドンという街が大好きでした。現地にはYMOが好きなミュージシャンとか友達がいっぱいいる。美味しい料理が食べられる店もよく知っているから、レコーディング中でもたまには呑みに出かけていました。YMOが『散開』してからも、プライヴェットで1カ月滞在するほど気に入っていましたね」
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