ピーター・バラカンが語る「高橋幸宏さん」 忘れられない81年「ロンドンレコーディング」、YMOの「CUE」をなぜ好きだったか
「CUE」のクオリティ
バラカンさんは「いやいやいや、そうはいかないですよ。僕は作詞なんてしません」と必死に抵抗したが、半ば無理矢理に担当させられてしまったという。
「YMOの歌詞は大半が英語です。メンバーが日本語で書いた歌詞をもらったら、僕が増幅させて英語にするというやり方でした。ただ、謙遜でも何でもなく『うまくいったな』という歌詞は少ないです。僕は長年、ずっと音楽を聴いているから、いい歌詞は分かると思っています。自分が作った歌詞を耳にして『あ、いいな』というものはほとんどない。そして珍しく『これはうまくいったな』と思える曲の一つが『CUE』です」
歌詞に限らずサウンドのクオリティも高く、何から何までうまくいった曲だという。
「幸宏が『NEUROMANTIC(ニウロマンティック)』(81年5月)をロンドンのエアスタジオで作っている時、後にレコード・プロデューサーとして有名になったスティーヴ・ナイ(註6)がエンジニアとして参加していました。彼が『CUE』を非常に気に入って、『これはヒットだね』みたいなことを言っていました。『やっぱりスティーヴも認めてくれるんだな』と嬉しかったのですが、あの曲はもったいなかったと思います。ちょっと時代が変わったら、世界中のラジオ番組でばんばん流れてもおかしくなかったでしょう」
1カ月のレコーディング
ちなみにYMOの楽曲が世界トップクラスのクオリティだったことを物語るエピソードの一つとして、マイケル・ジャクソンが高く評価していたことが挙げられる。
アルバム「SOLID STATE SURVIVOR(ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー)」(79年9月)に収録された「BEHIND THE MASK(ビハインド・ザ・マスク)」を気に入り、カバー曲をレコーディングしたのだ。
販売枚数が推定7000万枚という「Thriller(スリラー)」(82年12月)に収録される予定だったが、条件が折り合わず見送られた。マイケルの死後にリリースされた未発表曲を収録したアルバム「MICHAEL(マイケル)」(2010年12月)で初めて日の目を見た。
「なぜ幸宏がライヴで『CUE』をよく歌ったのか、理由について訊いたことがないから想像するしかありません。ただ“袋小路”という言葉は一時期、彼が頭の中にずっと持っていたイメージだったのは間違いないでしょう。そして優れた音作りという点では、松武秀樹さん(註7)の貢献も大きかったと思います」
バラカンさんは、高橋さんの2枚のソロアルバム、「NEUROMANTIC」と「WHAT, ME WORRY?(ウォット、ミー・ワリー?)」(82年6月)の制作現場に立ち会った。
「両方とも1カ月ぐらい、ずっとロンドンでレコーディングをするわけです。普通なら幸宏の傍にはマネジャーが付いている。でも、マネジャーを1カ月、ずっとロンドンに置くわけにはいかない。そこで僕が代わりに一緒に行くわけです。他の2人と違って、幸宏とは1カ月の期間を共に過ごした。親密とは言わないまでも、距離の近い関係だったとは思います」
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