日本中に蔓延する“SDGs疲れ”、美しい地球のための「努力」がもたらす「不都合な真実」
SDGsとは、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のこと。貧困をなくす、ジェンダー平等を実現するなど、17のゴールが設けられ、現在、この目標を達成すべく、様々な企業が取り組み続けていますが、昨今「SDGs疲れ」を口にする企業人も出ています。
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バッジを外す
私の知人の役所勤め男性はこう語りました。
「2023年に入ったのをきっかけにそれまで付けていた『SDGsバッジ』を外しました。2022年は上司も『役所が熱心に取り組んでいる様子を市民に見せなくてはいけない』と言っていましたが、今は私が外しているのを見ても何も言いません。上司自身も外しています」
また、私は2週間に1回、現在の社会状況や「空気」について考える会議に参加していますが、2021年の春頃と比べるとその話題が登場する頻度は減少しています。一時期の熱は冷めています。その会議では新聞記事でどれだけ各種キーワードが取り上げられたかの推移も紹介されますが、SDGsの件数は昨年よりも明確に下がっています。
SDGsについて、私は肯定的に見ています。そりゃあ、貧困解消や多様な価値観を認めることなどは、素晴らしいに決まっているから。しかし、「努力目標」であるものを、バッジを付ける人のように「強制」と捉える向きがあるのはむしろ負担を与えるし、一般的な組織人や労働者に苦痛をもたらす恐れもあります。
本来、組織やそこに属する人の使命は、その組織が持つ専門分野で最大限に能力を発揮することです。それはメーカーであれば「製品の生産」ですし、役所であれば「住民・国民の快適な生活」、物流は「期限に間に合う配送」で、小売りは「商品の安定提供」など。「SDGs疲れ」には「オレらの本業以外のことで疲弊させないでもらえたらありがたいのですが……」といった人々の思いが込められているように感じられます。
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