「デ・ニーロものまね芸人」、地方移住で見つけた「貯金残高30万円」でも幸せな生活

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聞いたその場で“移住”を決意

 佐野市に移住したのは2018年。同年12月から21年11月までの3年間、「佐野市地域おこし協力隊員」を務めた。テルは協力隊員として佐野市への移住・定住を促進する活動を行ったほか、名所や名物などをPRし、地域の活動にも積極的に参加。功績が認められ、「3年未満」とされる期限いっぱいまで隊員をやり切った。その上、21年12月からは「佐野ブランド応援団長」に就任し、今も佐野市に住んで活動している。

 移住のきっかけは何だったのか?

「マネージャーから“まだ他の人には言ってないんですが、佐野市でこういう仕事があります。誰か行ける人、いますかね?”と相談を受けたんです。その場で“俺、行く!”と即答しました。聞いて返答するまで1秒です(笑)」

 テルは愛媛県八幡浜市出身。佐野市とは全く縁がなかった。なぜ即決したのか。

「その頃、仕事が少なかったし、東京で先々やりたいこと、目標がなかったんです。当時48歳。50歳が見えてきて、これからどうしていこうか、芸能界ではちょっと難しいかな、好きなイラストにもっと力を入れようか、と考えていました。移住への迷い? なかったです。むしろ環境を変えられる凄くいい機会をもらえたと思いました」

キャラの変化を拒む壁 「あー、これはヤバいなぁ…」

 実はテル、「デ・ニーロものまね」というヒットギャグを持ちながら、随分前から先行きに不安を持っていたという。

「どーよを解散したのが09年。40歳になる直前でした。ピンになってもデ・ニーロの仕事はけっこうあったんですが、最初にテレビに出た時に、しゃべらないキャラでやってしまったんですね。それがだんだん響いてきて……」

 どういうことなのか?

「デ・ニーロのキャラで話す路線に切り替えて、トーク番組も出られるようにしたいとか、色々考えていたんですが、テレビの現場に行くといつも“しゃべらないで下さい”だったんです。雛壇には座らず、後ろからのぞいているとか。あー、またかー。こういう形でしか出られないのかー。これはヤバいなぁ……って。あのものまねを生み出して、世間的にもウケたけど、キャラを発展させて飽きられないようにする機会を作れないジレンマに陥っていたんです」

 話さない設定を変えられなかった影響が出たのか、次第に出演機会が減っていった。特に17年ごろから仕事が激減したという。

「しゃべる仕事が来るどころか、デ・ニーロでワンポイント出て終わりというのが続いて、こっちに来る2年ぐらい前からパッタリ仕事が無くなりました。月に1本あればいい方ってぐらいでした」

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