中村紀洋、吉井理人、今岡誠…春季キャンプの「テスト生」から見事に這い上がった名選手

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救いの手を差し伸べた仰木監督

 前年オフに解雇されたチームに春季キャンプのテストを経て復帰をはたしたのが、今季ロッテの新監督に就任した吉井理人である。

 5年間米国でプレーしたあと、03年にオリックスと契約した吉井だったが、足首を痛めた影響で2年間通算2勝8敗1セーブと振るわず、04年オフに戦力外通告を受けた。

 その後、日米のトライアウトを受けるも、獲得に動く球団はなく、引退危機に直面した矢先、合併球団・オリックスバファローズの新監督に就任した近鉄時代の恩師・仰木彬が豊富な経験を買って、救いの手を差し伸べてきた。

 翌05年春、テスト生としてオリックスのキャンプに参加した39歳の吉井は故障も癒え、紅白戦で141キロを計時するなど、体力面の不安も一掃。仰木監督も「経験を持っているし、打者とのやり取りはさすが。何よりチャンスをものにするという気持ちが前面に出とる」と絶賛した。

 そして、異例の“返り咲きテスト生”は2月21日に合格が決まり、年俸500万円プラス出来高2000万円(推定)で再契約を交わした。

「2年間活躍できなかった僕にチャンスをくれた監督、球団に本当に感謝しています。今回の合併が成功しないと、近鉄、阪急、オリックスの先輩方が作った歴史が台無しになる。少しでも貢献したい気持ちで一杯です」と“合併元年”での復活を期した吉井は、開幕から先発で6連勝を記録し、“ラスト采配”となった恩師に報いている。

「このまま辞めたくない」

 球団から引退を勧告されながらも現役続行を望み、トライアウト、春季キャンプのテストを経て、ロッテ移籍をはたしたのが、今岡誠(現在の登録名は今岡真訪)である。

 阪神時代の03年に首位打者、05年に打点王を獲得し、両年ともV戦士になった今岡も、06年以降は故障や守備力の衰えなどから出番が減り、自ら「背水の陣で臨む」と宣言した09年も、23試合出場、打率.133で終わった。

 球団側はシーズン中の8月に引退を打診してきた。話し合いの中で、推定年俸1億6000万円の今岡をトレードで獲得する球団は「おそらく皆無である」とも告げられた。

 だが、春季キャンプのときからチーム内に漂っていた「今岡は今年一杯で引退」という空気を読み、自分自身を抑えてプレーしたことに悔いを残していた今岡は「このまま辞めたくない」と現役続行への思いが一層強くなった。

“阪神の今岡”で終われば、コーチや解説者などセカンドキャリアの仕事にも就きやすく、レールに沿った最も無難な処し方と言えるが、今岡はあえてそれ以外の道を選んだ。

「レールから一歩外れることで、初めて見えてくるものがある。確かに勇気は要りますが、いったんは道を外れても、求められる人材になれば、自ずと新しい道が開けます。そうなることのほうが大切だと感じたのです」(自著「感じるままに生きてきて」ベースボールマガジン社)

 そんな熱意が通じ、11月のトライアウト受験後、ロッテが声をかけてきた。翌10年2月、一テスト生としてロッテのキャンプに参加した今岡は、初日から持ち味の右方向への当たりを連発し、「一番の魅力は打撃。パ・リーグはDHがあるので、やってくれる力がある」と西村徳文監督から高い評価を得た。

 2月3日に合格を勝ち取った今岡は同年、シーズンでは26試合出場にとどまったが、クライマックス・シリーズで本塁打を打つなど、ここ一番の勝負強さを発揮し、シーズン3位からの「下克上日本一」に貢献している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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