【王将戦4局】レジェンド・羽生九段が完勝 藤井五冠は対局後に異例の発言
「封じ手で間違えた」
振り返れば、封じ手が開かれて少し進むと、「大きな間違いさえしなければ羽生の勝利」という将棋ではあった。藤井の投了は午後4時3分と早い。藤井自身の2日制のタイトル戦としては2年前の王位戦で藤井が豊島将之九段(32・元三冠)に午後3時35分に投了したのに次ぐ歴代2位の早さだった。これまで七番勝負のタイトル戦で藤井が2敗以上したのは、昨年の竜王戦で広瀬章人八段(36)を4勝2敗で退けた時だけ。レジェンドの偉大さを痛感する。
「封じ手で長考したところで間違えた。(羽生の73手目)『3一角』が思ったより厳しかった。『5二同銀』も考えたけど成算が持てなかった。読みの精度が足りなかった」とうなだれる藤井は、封じ手が失着だったことを明言した。藤井が特定の一手を示して勝因や敗因を語ることは珍しい。
一般的に長考は局面が悪い時に見られるが、1日目の羽生の王手でさほど局面が悪くなったわけでもなかった。
深浦九段は、封じ手について「『5二同銀』なら『6二歩成』から激しい攻め合いになったが、『同玉』としたことで後手は受けに回ることになる。先手は銀損しているので攻め続け、『6四角成』から攻めが続いた」と振り返った。一挙に勝算ゼロになる封じ手ではなかったが、羽生の攻めが続き、ほとんど反撃ができなくなった状況を考えれば、藤井の大長考は「失着」に帰してしまったと言えるのだろう。
封じ手には「自分の手番で封じるように持ってゆく」、あるいは「相手に封じさせる」などの戦略があるが、今回の藤井は大長考して気がついたら封じる時間(午後6時)になっていたのか、あるいは早い段階から「自分が封じてやろう」と思っていたのか。
かつては5時間半の大長考も
何日もかけて勝敗が決まった大昔の逸話はともかく、現行制度になってからの長考の記録は、2005年9月2日、名人戦順位戦B級1組で青野照市九段(70)と対戦した堀口一史座(かずしざ)八段(47)の5時間24分。持ち時間が6時間の順位戦で一手に5時間半近く使うとは常軌を逸しているが、なんと堀口が勝っている。
全盛期のヒフミンこと加藤一二三九段(83)は、序盤の長考で持ち時間がなくなり、秒読み将棋に追い込まれてもバシバシッと駒を盤に叩きつけて敵玉を討ち取っていた。迫力満点ではあったが、やはり取りこぼすことも多かったようだ。
3~4手先も正しく読めない筆者など10分考えようが1時間考えようが同じだが、もちろんプロは違う。藤井は序盤でも中盤でも、ここぞという時は惜しみなく時間を使う。1日目は封じ手以外にも62手目の「6二銀」に57分を使っている。藤井の場合、「時間を使う」というよりも、集中していて時間のことなど忘れているように見える。今回の対局では、一時、羽生との持ち時間の差が3時間にも広がっていた。それでも1分将棋に追い込まれる前の投了だった。
藤井は昨年、富士山が見えるこのSORANO HOTELで、渡辺明二冠(38)から王将位を奪った。記者会見で「富士山で例えれば、何合目まで登っているイメージか?」と問われ、「いまだ頂上が見えない意味では森林限界の手前」なる名言(?)が飛び出したが、ゲンのよい対局場にあやかることはできなかった。
2日目となる10日、関東地方には雪が降り、会場の外は雪景色だった。そのせいか藤井は窓の外を見ることが多く、中継していた「囲碁将棋プレミアム」のカメラのほうにも顔が向いた。その表情はどこか「心ここにあらず」にも見え、封じ手の失敗で早々に負けを察していたようにも映った。
明るい青色の羽織でタイに持ち込んだレジェンド・羽生の奮戦で、王将戦がますます面白くなってきた。これまでのところ、先手番(藤井が第1局と第3局、羽生が第2局と第4局)がすべて勝っており、7局目まで行く予感がする。藤井は今期、先手番では23連勝を含む27勝1敗と圧倒的な強さだが、逆に後手番は先日も永瀬拓矢王座(30)に負けるなど、16勝10敗とかなり星を落としている。
2月25、26日に島根県大田市で行われる藤井先手の第5局に羽生が勝てば、藤井の王将防衛に黄色信号が灯る。
この日の羽生勝利を喜んだのは佐賀県の将棋ファンだろう。3月11、12日に予定されていた上峰町での第6局目は、必ず実施される。五番勝負や七番勝負で決着がついてしまい対局がなくなるのは仕方がない。しかし佐賀県の場合、一昨年の棋聖戦は記録的大雨のため、昨年の王位戦は新型コロナ感染のため、それぞれ思わぬ事態で会場が変更され、二度もタイトル戦が中止になる憂き目に遭っていた。
(一部、敬称略)