生誕100年・池波正太郎の小説はなぜ今も実写化が続く? 12歳から株屋で勤務、軍隊も経験…培われた人間観とは

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人間臭さの強調

 次いで池波は鬼といわれた新選組副長・土方歳三の恋を描く「色」を発表。この物語の骨子は、池波の母が、祖父と同業の錺(かざり)職人の山口某という人物が昔、土方の馬の口とりをしたことがあり、土方の彼女が京都の経師(きょうじ)屋の未亡人だったともらしたことによっている。

 何しろ、土方にこのような人間臭い解釈を取り入れるのは初めてのことであり、長谷川伸は後に「色を書いてから、君は、ちょいと変わったね」と語ったという。この頃から池波作品は、硬さが取れた柔軟な筆致の中に、登場人物を人間らしく躍動させ始めるようになる。

 土方の人間臭さの強調は、後の作品――例えば『おれの足音』のラストで、雪の本所松坂町、吉良上野介発見の知らせを聞いた大石内蔵助が脳裏に浮かべるのは、亡君の姿でも、あだ討ちを遂げた満足感でもなく、妻りくの肉置(ししお)き豊かな白い肉体であったという箇所や、『忍びの女』で戦国の梟雄・福島正則を描く際に、本来なら脆弱な部分として非難されるべき女忍者との愛憎を前面に押し出した点にみられるように、かえってその人間的魅力を活写した小説作法の萌芽といえるだろう。

次々に新境地を開拓

 昭和37年ごろからは、桐野利秋の苛烈な生涯を庶民的共感を込めて描いた『人斬り半次郎』など長篇の連載も増えるが、同38年6月に長谷川伸を心臓衰弱のために失うことになる。恩師の遺作は、戦前から続いた敵討ちものの集大成であり、敵討ちの異相をもって実相とした「日本敵討ち異相」だった。池波正太郎作品には、この師のテーマを受け継いだものも多く、初期の短篇から『堀部安兵衛』や幡随院長兵衛を描いた『侠客』、何度も映像化されたヒット作『雲霧仁左衛門』等にもこのテーマは貫かれている。

 池波正太郎は、この他にも、若くして脱毛症となった侍が己れの後半生を爽やかに生きる姿を描いた『男振』や、複雑な家庭環境から脱し、男女の房事を描いた秘画の描き手として新天地を求める旗本を主人公とした『おとこの秘図』等で新境地を開いていく。

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