作家・燃え殻さんが語る、3年半交際した恋人と別れ際に交わした“切なすぎる会話”
客のいない目黒川沿いのカフェで
作家・燃え殻が「週刊新潮」で連載するエッセイ「それでも日々はつづくから」が100回を迎えた。20年ほど前、3年半交際した恋人と別れた朝、最後にカフェで交わした会話の中身とは――。
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それは冬の朝だった。
目黒川のほとりにあるカフェは、音飛びがやけに激しいレコードからサラ・ヴォーンが、いい具合に人生を奏でていた。店内には僕たち以外、客は誰もいない。まだ午前8時をすこし回ったところで、街は半分寝ぼけているように感じた。
パトカーのサイレンの音が遠くで聞こえていた。目の前でホットティーをズズズとすすっている彼女も、眠たそうに目を閉じたままだ。
僕はホットコーヒーを一口飲んで、昨日の酒に内臓がまだ痛めつけられていたことに気付く。胃がズキンと音を立てるように硬くなる感覚を味わう。ホットティーにすればよかったと早くも後悔していた。目黒川沿いは桜の名所で、春になるとこの辺り一帯、満員電車のような混み具合になる。
「わたしもダメだね。向いてないんだ人間」
「春になったら、またこのカフェに来ようね」
彼女はまだ目をつむったまま、冗談だよという含み笑いを浮かべながら言う。そしてまた、ズズズとホットティーをすすった。
前日、僕と彼女は3年半付き合った関係を解消することを決めた。そして彼女の部屋にある僕の私物を真夜中に引き取りに行き、なんだかんだで、一泊してしまった、どうしようもない朝だった。しかしダメだね、そんなことを僕は目黒川のほうを見ながらつぶやいた気がする。
「わたしもダメだね。向いてないんだ人間」と彼女もため息交じりに言う。カフェの店主とはすっかりふたりとも顔見知りになっていたので、「どうしたの? 朝が苦手なふたりが」とスコーンをオマケしてもらう。これからこの店に来づらいなあ、と僕は思っていた。彼女が声のトーンを落として、「もうこの店に来づらいね」と言った。思わず苦笑してしまった。
次ページ:「桜ってすごいよね。ちゃんと飽きられる前に散るんだから」
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