35年前には1000店舗もあったコンビニ「サンチェーン」 元店長が語る“キャバレー発”ゆえの戦略

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ワンオペはつらかった

 そんな混乱期に入社した私はまず、いずれも神奈川県内の、東神奈川と大口のローソンで店長代行として半年働きました。そして星川のサンチェーンで店長に昇格したのです。店長になると手当がつくぶん残業代が出なくなる。給料が激減したのも思い出です。この1年後には星川に加えて戸部のサンチェーン、そして保土ヶ谷のローソン3店のかけもち店長に。合併したとはいえ「別のコンビニ」ですから、オペレーションもぜんぜんちがう。はじめは混乱したものです。

 なにより辛かったのがサンチェーンでのワンオペでした。

 バブル期の当時は、ほかに時給の良い仕事があふれていましたから、わざわざコンビニでアルバイトをしようという人はおらず、とにかく人手不足だった。ローソンは3交替のシフト制だったのに対し、サンチェーンは2交替(!)ローソンの店舗には最低ひとりのアルバイトがいてなんとか成り立っていましたが、サンチェーンのほうは慢性的な人手不足で、アルバイトだけでお店を運営する店舗が半数ぐらいありました。店長としてワンオペの夜勤はしょっちゅうで、トイレに行きたくてもいけません。ブラックな働き方が当たり前だった時代の話です……。

 これは私個人の感想ですが――ほかに選択肢があるのにわざわざ24時間のコンビニ、しかも3大チェーンではないコンビニを選んで働く人なわけです。30年前とはいえ個人情報なので伏せますが、きっと普通のバイトでは続かないような、ヤンチャな子が多かったですね。バックヤードのロッカーはべこべこで、店長に着任してすぐある二人組が辞めたあと、それまで毎月8万円くらいの不足で合わなかったレジ精算が、合うようになったりしました(笑)。彼らが辞めてすぐ、岩が投げこまれ、店の入り口付近のガラスが割れたことも。店長として仲が良かったですから、彼らなりの「餞別」だったと信じています……。

 ほか、ローソンの制服は長袖なのにサンチェーンは半袖という違いもありました。社員ですからその下にワイシャツを着用するわけですが、サンチェーンの勤務後だけは裾が真っ黒に汚れるのです。そういえばローソンは店でクリーニング業者に出していたけれどサンチェーンは自宅で洗濯していたような気もします。

 これも前身がキャバレーだった関係でしょう、コンテストを主催するなど「音楽」に注力していたのもサンチェーンの特長でした。店内でもただのBGMではなく有線で「サンチェーン放送局」という店内ラジオ番組を流していました。今のファミリーマートで流れる「ミックスファム with Your Voice」 などの店内放送の先駆けです。明け方になると「そろそろ品出しです」「あと2時間でお客様がいらっしゃいます」のナレーションはいまも耳に残っています。(もっともわたしが店長をしていた店舗ではアルバイトが勝手に有線放送を流すこともありました。深夜のコンビニにクラシックが流れていたのは不気味でした)。

 その関係で作られた、サンチェーンオリジナルのビデオが売られていたのを覚えています。ほかに記憶にあるのは、コロッケやポテトサラダをはさんだ「おにぎりサンド」なる食べもの……。

 以上、とりとめもなくサンチェーンの思い出を書いてみましたがいかがでしょうか。その後、サンチェーンはローソンに衣替えされるようになり、1994年に最後の店舗がなくなりました。月日の経つのは早いものです。

渡辺広明(わたなべ・ひろあき)
流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。近著に『ニッポン経済の問題を消費者目線で考えてみた』(馬渕磨理子氏と共著、フォレスト出版)がある。

デイリー新潮編集部

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