NFL選手たちのケガを奇跡のように治した日本人・白石宏 「ヒロシのヘルプが絶対に必要なんだ!」(小林信也)
歓喜の輪の中に…
私が白石から国際電話を受けたのはその日。スーパーボウルの4日前だった。
「それがね、オーゴトになってしもうて……」
いつもの広島弁で言った。
「テレビでもラジオでも、スーパーボウルというと『まずあのことから話そう』みたいな感じで、ワシの話題がトップなんよ」「ワシのことで選手とプレジデントがもめてるらしい」
とにかく来てほしい、白石から呼ばれたのは、当時ふたりで新宿に事務所を構え、私が白石のマネジメント役を担っていたからだ。
白石は選手の援護射撃もあって決戦の地に移動できた。ホテルではゴールトが自室にエキストラベッドを入れ、白石を迎えてくれた。私は大会前夜、宿舎のヒルトン・ホテルに着いて目を丸くした。ロビーがパーティー会場と化し、大群衆であふれていた。
白石は、マクマーン、ペイトンらの部屋を回り、精力的に治療していた。その頃には、「ヒロシの治療でマクマーンが走った!」と大きな話題となっていた。いっそうチーム側の態度は硬化し、白石への対応が陰湿になった。
86年1月26日、ベアーズ対ニューイングランド・ペイトリオッツ。マクマーンは無事スーパーボウルの舞台に立った。ベアーズは序盤から圧倒、46対10で王座に輝いた。
歓喜の輪の中に白石はいなかった。試合が始まるとすぐ係員に促され、フィールドから追い出されたのだ。
翌日、空港待合室で飛行機のキャンセル待ちをしていると、優勝パレードの華やかな光景がテレビに映し出された。誰かが言った。
「マクマーンを治した日本人トレーナーもあの中にいるはずだぜ!」、その声を、白石は複雑な思いでかみしめた。
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