ダイアモンド☆ユカイが語る「鮎川誠さん」秘話 YMOが導いたメジャーでの成功
ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠さんが1月29日に膵臓がんのため亡くなった。享年74。2月4日には生前の鮎川さんが愛した東京・下北沢からほど近い世田谷区大原の「星かげの迎賓館」で「ロック葬」が営まれた。生前の鮎川さんと親交があったミュージシャンのダイアモンド☆ユカイがロック葬に参列した後、鮎川さんとの思い出や秘話を語った。シーナ&ロケッツを一気にメジャーにしたYMOとの出会いとは?【華川富士也/ライター】
ロック葬、本当にカッコ良かったよ
鮎川さんが亡くなったと聞いた時に、頭をよぎったのが“高橋幸宏さん(1月11日没)の後を追うように逝っちゃったな”ということ。シナロケがメジャーになるきっかけを作ったのが、幸宏さんだったからね。そして、ロック葬、本当にカッコ良かったよ。鮎川さん、最期までロックを貫くなんて、さすがだよ。
目をキラキラさせながら…ハートはずっと“ロック少年”
鮎川さんは“徳の高い存在”と言ったらいいのかな。大先輩なのに世代や業種を問わず、誰にでも気さくに話してくれたし、人の悪口を言っているのを聞いたことがなかった。そしてロックが本当に大好きで、会うたびにロックについて熱く語ってくれた。
特に好きだったのがザ・ローリング・ストーンズの初期のアルバム。会うといつもストーンズのデビューアルバムなんかについて、「聴く度に発見がある」と目をキラキラさせながら話してくれた。
発売されたのは1964年。今から60年近く前のアルバムを、鮎川さんは発売当時にジャストタイムで聴いているんだけど、それからずっと新鮮な気持ちで聴いて、俺たちにその良さを語ってくれていた。2019年に取材で会った時も、21年にシャケ(木暮武彦、レッド・ウォーリアーズのギタリスト)とやっているDiamond Shakeのライブに出てもらった時の楽屋でも、ゆっくり話す時間があると、いつも目をキラキラさせながら熱く語ってくれた。俺より一回り以上年上だけど、ハートはずっと“ロック少年”のままだったんだね。
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