明治期にはタピオカも運んでいた? 再び脚光をあびる「鉄道貨物」の150年

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モーダルシフトで再び脚光

 JRが発足してから20年後にあたる2007年、筆者はモーダルシフトの可能性について経済誌で記事を書く機会を得た。その内容は、「当時は過去の遺物と思われていた路面電車や貨物列車が環境面から評価されている。貨物列車はモーダルシフトの概念によって復活する。だから路面電車や貨物列車は、未来の鉄道だ」というものだった。

 その記事が出た直後、JR貨物から「伊藤直彦会長(当時)が会いたいと言っているが、お越し願えないか?」という打診を受けた。てっきり抗議だと思い、恐る恐る飯田橋駅の近くにあったJR貨物の本社ビルを訪れた。そこでは、伊藤会長から約2時間にわたり鉄道貨物への思いや将来性を聞くことになる。

 当時、伊藤会長は東海道物流新幹線構想の実現に奔走していた。東海道物流新幹線構想とは、新東名高速道路の中央分離帯に貨物専用の鉄道線を併設させて 、そこに高速の貨物列車を走らせるというものだ。

 現在のところ同構想はほぼ消滅状態にあるが、当時の伊藤会長は東海道物流新幹線を実現させることで日本経済が大きく成長すると力説した。社会一般の意識は、貨物列車は衰退の一途とのムードが強かったから、伊藤会長の貨物列車に対する強い思い入れを感じさせた。しかし、いくら伊藤会長が強い思いを抱いていても、社会がそれを受け入れるとは限らない。

 それから社会情勢は変化し、鉄道貨物が再注目されるようになる。そして、2016年度にはJR貨物が鉄道・関連の事業別業績を開示した2007年3月期以降では初となる鉄道事業の黒字化を達成した。これはJR貨物による地道な努力の積み重ねの賜物でもあるが、物流がトラックから鉄道貨物へシフトしたことを物語る数字でもある。

 従来、鉄道ファンの裾野は広い。貨物を専門に追いかけるコアな鉄道ファンも珍しくないが、それでも小運送や荷主に興味を抱く鉄道ファンは少数派だった。今で言うならJR貨物や各地で貨物列車を運行している臨海鉄道が貨物ファンの主流派で、長らく小運送は脇に追いやられてきた。

 それも当然の話で、小運送は鉄道関連の業務を担当するものの、鉄道会社本体ではない。しかし、大運送と小運送は表裏一体でどちらが欠けても成り立たない。なにより、私たちの暮らしに身近な存在は小運送だろう。時代とともに小運送という言葉と概念は消失した。

 その最大の理由は道路整備とともに小運送業者がトラック輸送に参入し、大運送の鉄道貨物・海運が存在感を失ってしまったことも一因と思われる。

 鉄道貨物は2010年代に入って再び転換期を迎える。先述した環境意識の高まりもさることながら、トラックドライバー不足・高齢化、さらにトラックドライバーの間で常態化していた長時間労働の是正といった問題が深刻化しているからだ。それらを改善する手立てとして、少しずつ物流業界全体がトラック輸送から鉄道貨物へと回帰しつつある。

 国土交通省は、鉄道貨物や船舶といった輸送手段を活用するモーダルシフトを推進するように旗を振る。それに呼応して佐川急便やヤマト運輸といった大手物流事業者が、率先して鉄道貨物へと軸足を移している。

 例えば、佐川急便は2004年からスーパーレールカーゴの愛称で親しまれるM250系電車の運行を開始。M250系は世界初の貨物電車でもあり、東京―大阪間を約6時間で結ぶ。これはトラックよりも所要時間が短く、当然ながら輸送量も多い。効率的な輸送方法といえるだろう。

 ヤマト運輸は、京都市を走る京福電鉄の路面電車を活用。ヤマト運輸が始めた路面電車による配送は、厳密には貨物輸送ではなく荷物輸送という位置付けになる。それでも、従来はトラック輸送が有利とされた近距離の輸送に路面電車を用いたことは大きなインパクトがあった。ヤマト運輸の取り組みが、鉄道貨物の新たな可能性を切り拓いたことは間違いない。

 近年はAmazonや楽天といったネット通販が隆盛し、物流の取扱量は増加している。トラック輸送による物流の限界が近づいている今、150年の歴史を紡いできた鉄道貨物に活路が求められている。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部

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