警視庁公安部のお粗末すぎる捜査…国賠訴訟を起こした大川原化工機幹部が語る「中国不正輸出冤罪事件」全真相
無理筋、わかっていた警視庁
当然、社員たちは噴霧乾燥機で完全な滅菌や殺菌ができないことを知り尽くしているが、それだけでは裁判に勝てない。外為法の規制対象ではないことを証明するために、静岡県富士宮市にある研究施設で必死に実験を重ねた。金に糸目をつけずに実験し、立件に都合の良いデータを出そうとする捜査側に対抗しなくてはならないのだ。寒い時にデータを取ると、「(乾燥機内の)温度が上がらなかった理由は外気温の影響だ」などとケチが付くので、真夏にも何度もデータを取った。警視庁側は「熱風ヒーターで容器すべての温度が100度になって菌が死滅するはずだ」としてきたが、熱風ヒーターだけではすべての部位が100度になどならない。計測器の取り付け口のあたりは40度にもならなかった。社員は普段から「触れる程度の温度」であることはわかっていた。
「全部が100度にならないとわかると、今度は『大腸菌は50度でも死ぬでしょ』とか言って死滅する温度条件を下げてきたんですよ」と大川原社長は振り返る。警視庁は自分たちの実験結果が芳しくないことに気づいていた。
大川原社長らは「裁判で戦うしかない」と覚悟を決めた。東京地裁での初公判は、21年8月3日に始まろうとしていた。ところが、4日前の7月30日、高田弁護士に検察から起訴取り消しの連絡が入った。
東京地検は「起訴後に再捜査した結果、滅菌、殺菌に該当するかどうかについて疑義が生じた。法規制に該当することの立証が困難になった」などと説明したという。しかし、起訴取り消しは純粋に科学的な理由ではなさそうだ。
「経産省と警視庁とのやり取りの記録が公安部に残っていることが判明し、開示請求しました。検察官は渋っていましたが、裁判長が強く開示を求め、しぶしぶ承知しました。起訴取り消しを言ってきたのは、開示請求の期限日だったんです」(高田弁護士)
経産省にとっても警視庁にとってもまずい記録が残っており、裁判になって法廷でこうしたものが表に出されることを恐れて起訴を取り消した可能性が高い。高田弁護士は「当初は規制の対象と認識していなかった経産省が、警視庁公安部に説得されて考えを変えてゆく様子が残っていたのでは」と見る。
大川原化工機の本社を訪れた昨年12月、大川原社長は社内を案内しながら製品について熱心に説明してくれた。機械が好きでたまらない様子がうかがえたが、自身が酷い目に遭ったことについては多くを語らない。それよりも案じていることがあった。
「現場のことも機械のこともよく知らないまま、こんな経済安保が大手を振っていれば、日本の産業は世界から立ち遅れてしまいますよ」(大川原社長)
公安警察の「宿痾」
ところでなぜ、警視庁は無理筋を立件しようとしたのか。そこには普通の刑事警察とは異なる公安警察の「宿痾(しゅくあ)」がある。
公安警察には通常の社会治安とは別に、国防や国家体制の維持といった名目がある。冷戦時代に日本が「仮想敵国」とした筆頭は旧ソ連で、「ソ連と怪しげなことをしている」といったものに目を光らせていた。1980年代も、ナホトカと小樽の間で行われたヨットレースの主催者がソ連側に無線機のようなものをプレゼントしたなど、さして国防に大きな影響があるとも思えないようなものも、「ココム(対共産圏輸出統制委員会)違反」などを名目に検挙。それをマスコミに大々的に報じさせては自分たちの存在を世に誇示し、多額の予算を手にしてきた。
レポ船主(ソ連の国境警備隊員に物品や情報などの「貢物」をし、ソ連領海内でカニなどを取らせてもらい、巨利を得ていた根室市の漁民)を追いかけていた北海道時代の筆者(当時は通信社の記者)も、ある意味、公安関係者のお先棒を担いでいた。ところが、1991年にソ連が崩壊し、警察の公安部や外事課、公安調査庁は大いに困った。
一般に警察組織では、苦労して殺人犯や泥棒を追っかける刑事より、警備畑や公安畑の要領のよい連中が出世する。とはいえ、アピールするためには事件が必要だ。
2017年に外為法が改正され、規制が強化された。警視庁は改正法を適用する「第1号」を狙った。マスコミに「成果」を大きく報道してもらい、評価につなげたかったのだろう。中小企業ではあったが重要な製品のリーディングカンパニーである大川原化工機に目を付け、手柄を立てようとしたのが今回の警視庁公安部である。目的のためには中小企業の相談役が死のうが構わなかった。
要は日本でこれだけ恐ろしい冤罪を密かに進行させていたのだ。逮捕時、大川原化工機の「犯罪」を書き立てたマスコミは、全力でこの裁判を大きく報じて詫びるべきだ。
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