警視庁公安部のお粗末すぎる捜査…国賠訴訟を起こした大川原化工機幹部が語る「中国不正輸出冤罪事件」全真相
突然の家宅捜索
2001年9月11日に米国で起きた「同時多発テロ」をきっかけに、国連は大量破壊兵器の規則を見直し、2017年には中国と米国の対立に押され外為法を改正。経済産業省は「経済安全保障」を強化してゆく。
噴霧乾燥機が炭疽菌などをばら撒く生物兵器に転用される可能性があるとして、以下の3条件を満たすものを対象に規制を設けた。
(1)水分の蒸発量が一定の範囲であること
(2)粒子の直径の平均が一定以下であること
(3)定置した状態で内部の滅菌、または殺菌ができるもの
このうち(3)の条件は、作業者と周囲の人の安全性が確保されている噴霧乾燥機を規制するためのものである。生物兵器の製造用に転用する際、装置の扉を閉めたままで滅菌や消毒(殺菌)ができるものでなければ、作業者の身体に危険が及ぶため使い物にならない。このため、扉を開けたり装置を移動したりせずに内部の滅菌・消毒(殺菌)ができるものに限り、規制の対象とされているのだ。
しかし、大川原化工機の製品は、扉を閉めたままで完全に滅菌・消毒(殺菌)することはできなかった。そもそも危険な粉末を扱うわけではないので、その必要もない。それでも大川原社長らは、規制が設けられる前から経産省と協議し、規制事項を確認し合ってきた。創業者である大川原社長の父は、戦後、シベリアに抑留された経験を持つ。そのため同社は「平和利用」をモットーとし、輸出先に対しては義務付けられてもいないのに武器に転用しない確約書まで取ってきたほどだ。
ところが――。2018年10月3日朝のことだった。大川原社長が横浜市の自宅から出勤しようとしたところ、数人の男が声をかけてきた。
「警視庁です。外為法違反で令状が出ているので家宅捜査させていただきます」
「なんの件ですか?」と訊いても「捜査の秘密なので言えません」と答えるだけ。捜査員たちは家の中に上がり込み、携帯電話や書類などを押収した。午前中に会社の家宅捜査も始まった。社員たちが呆然とする中、捜査員らはロッカーなどを手あたり次第に開け、書類やパソコンなど、業務用・個人用を問わずすべてを押収していった。
「噴霧乾燥機は売れば終わりではなく、メンテナンスのための設計図や仕様書などがあった。それも持っていかれ、修繕などの注文に応じられなくなりました」(大川原社長)
同年12月から社長らの聴取が始まる。捜査員が会社に来てくれるわけではなく、原宿署まで何度も通わされた。
「ざっと振り返ると、(聴取は)私が約40回、島田さんが約35回、相嶋さんが約20回ですよ」(大川原社長)
大川原社長は「警視庁は『乾燥機だから熱風を内部に送り込み続ければ殺菌ができるはずだ』と主張した。私は『経産省令では、感染症を引き起こすような菌を完全に殺せるようなものとしている』と反論しました」と振り返る。
そして、延々と続く任意聴取が始まって約1年半後の20年3月11日、大川原社長、島田取締役、相嶋顧問は逮捕された。主力製品の噴霧乾燥機「RL-5」を16年にドイツ企業傘下の中国の子会社に輸出したという容疑である。別の製品を韓国に不正輸出したとして再逮捕もされた。自身らの逮捕について大川原社長は、「ある程度、予想していた」と言う。
「セイシン企業(東京の精密機器メーカー)がイランに製品を不正輸出して立件された事件の本を読んでいたので、警察は同じようにやってくるのではと感じていたんです」(大川原社長)
3人の逮捕は新聞などで大きく報じられる。殺人事件や強盗などと違い、記者たちも「地取り(聞き込み)取材」で検証することができない。機械の専門的な内容でもあり、警視庁のレクチャーだけで書くような記事になる。
逮捕報道によって先代から築いてきた会社の信用は地に落ちてゆく。銀行から取引をストップされ、新規の取引もできず、年商30億円の売上は4割も落ち、経営が大ピンチに陥った。大川原社長は「ある意味、逮捕・勾留よりも報道がショックでした」と打ち明ける。
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