錦織一清が明かす「ジャニーズ事務所を辞めたホントの理由」「ジャニーさんを送る会で感じたこと」
SMAPは平成のドリフターズ
錦織:TOKIOとかはみんなでミーティングしてやっているけど、僕らは3人で話し合って決めたことはひとつもないんですよ。僕は一応、2人よりひとつだけ年上だから、メディアの上ではリーダーと謳われていた。しかし、少年隊のリーダーはジャニーさんだと思っていました。だからすべてジャニーさんの意向で、僕らもそれに文句も言わずにやってきた。
――歌うのを拒否したわけではない?
錦織:何にも言っていません。そもそもデビュー前に「グループで歌わせてくれ」と言ったこともありません。ジャニーさんから突然、「YOUたち、来週『ヒットスタジオ』出るから」と告げられて、「ハァ?」と言ったことから少年隊は始まった。そういうことが長かったから、本当は自分たちで何かを考えなければいけなかったのかもしれないけど、何も感じないでいたのが与太郎ぽかったのかな。
――少年隊の活動がないまま、ジャニーズ事務所に所属していたのはなぜか?
錦織:舞台の「PLAYZONE」が終わってからは、少年隊としての活動は少なくなったけど、その間も個人としての仕事がなかったわけじゃない。滝沢が帝国劇場の舞台に僕を呼んでくれたりとか。ジャニーさんが生きているうちに退所したほうが良かったのかなと思うこともあったけど、ジャニーさんにはそういう義理があったし、裏切れないという思いもあった。いずれにしても「前向きな退所」だと思っていて、それを事務所が認めてくれたことに感謝しています。
――後輩であるSMAPをどう見ていたのか?
錦織:SMAPってデビュー曲を出したときから、飛ぶように火がついた子たちではない。これはマネージャーの飯島(三智)さんの手腕だと思います。彼女は昔、僕らのデスクをやってくれた女性ですけど、その飯島さんがタレントをマネージングするようになったのがSMAPでした。彼女がマネージングするSMAPが売れていくのを見るのはうれしかったですよ。彼女はいろんなテレビ局に行って、メンバーを個別にして「笑っていいとも!」みたいなバラエティやドラマに入れていった。僕らとはまったく被るところのないグループだったから、やっかみとかもない。彼らはジャニーズ事務所という鎧を着ていなかったのが新鮮だったし、コントもやるから平成のドリフターズみたいだなと思っていました。
――SMAP騒動の時はどんな空気だったのか?
錦織:僕、事務所に寄りつかない人間だったんですよ。赤坂のTBSに行くにも、事務所がある乃木坂方面は通らずに青山のほうをぐるっと回って行くほどだから(笑)。SMAPの振り付けをしている人と仲がいいので、彼を送っていく車の中で聞くと、「全然、大丈夫ですよ」なんて言っていた。蓋を開けたら、平気じゃなかったわけで……そのくらい知らないんですよ。
――最後に、意外だが錦織さんはまだ独身である。ご結婚は?
錦織:婚期を逃していますから、ここまで来るとね。友達にはバツ3だっているから。僕だってしたいときがなかったとは言いませんけど、そのときにはいろんな事情、結婚できない事情があってね。つかさんから「お前もちょろちょろしてないで所帯を持たんか」って言われたことがあるけど、その後に「ま、結婚して幸せになったやつは一人もいねえけどな」って(笑)。結婚するかしないかは、正直言って言えない。今考えていないだけで、したくなったら明日にでもするかもしれない。そういう生き方をしたいと思っています。
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錦織一清オフィシャルサイト
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舞台「サラリーマンナイトフィーバー」東京公演特設サイト
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