今もジャニーさんのブロックサインを思い出す……一人三役・錦織一清が語る舞台「サラリーマンナイトフィーバー」

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ジャニー氏のブロックサイン

錦織:僕たちは少年隊として毎週のように歌番組に出させていただきましたが、ジャニーさんはテレビよりもコンサートを含めた生の舞台、ショーが好きな方でした。ステージを作る熱意がすごくて、僕らが歌っていてもジャニーさんは客席の一番後ろから、「もう少し寄れ」とか「話が長いから巻け」とか、ブロックサインのように合図してくるんです。僕らがそれを見落とすと、客席の後ろから関係者通路を走ってくる。ジャニーさんは(踵が)高い靴を履いているから、タッタッタッタって走ってくる足音が聞こえるんです。そして、舞台袖でダメ出しです。初日が終わってから、シーンを入れ替えることまでしていましたから。

――一方、つかこうへい氏は、

錦織:逆につかさんの場合は、本番を客席から見ていた記憶がありません。本番では、演じている僕らに近い――舞台の下手(しもて)のすぐそばを大下手、上手(かみて)のすぐそばを大上手と呼びますが、その暗がりにつかさんはいらっしゃって……。「ここはこんな台詞を言ってこい」とか口立てでつけてくださったり、本番が始まっているのにまだいい舞台にしようと諦めない方でした。僕は「蒲田行進曲」でつかさんの演出を受けましたが、舞台の上から落としたスイカをグシャッと潰して、階段落ちの危険さを表現したんです。普段はスイカが水槽の中に落ちるんですが、あるとき水槽から外れてスイカが周りに飛び散った。それから劇団員たちが踊るシーンがあって、その後に僕が出て行くんです。すると、つかさんは、そこら辺からウエスのような雑巾のような、いろんな布を集めてきて、「いいか、次に錦織が出なきゃなんねえんだから、お客さんにわかんねえように踊りながらこれで拭け! 拭ききれなかったら衣装になすりつけてもいいから、あれをきれいにしてこい!」と言って布を配っているんですよ。その背中を見たときに、ジャニーさんにそっくりだと思いました。すごい舞台を作る人たちって、そうなんだと思いましたね。

夢をいただいている

――錦織さんにとって転機となったのは、1988年に初めて単独主演した舞台「GOLDEN BOY」だという。

錦織:86年から少年隊の3人が主演を務めた「PLAYZONE」という舞台を毎年、青山劇場でやらせてもらっていました。でも、「井の中の蛙、大海を知らず」じゃないですけど、外に出ないとわからないことってあるんですよ。まだ若かった僕に「対外試合」を経験させてくれたのは、当時はわからなかったけれど、自分のためになってありがたかったと思いますね。芝居の面白さがわかったんです。

――芝居の面白さとは?

錦織:カーテンコールってあるじゃないですか。お客さんの拍手により、稽古場で苦しんだこととか全部帳消しになって、さっぱりとした気持ちになる。舞台は“お客さんに夢を与えている”なんて言われるんですけど、あるとき気づいたんです。拍手していただいているお客さんを見ていて、こちらが“夢をいただいてるんだ”と。1番目に好きなものを趣味にして、2番目に好きなものを職業にしたほうがいいなんて言いますよね。それでいうと僕の場合は、芝居は趣味にしたほうがいいことになる。芝居が趣味だったら最高ですよ。お金のことも考えなくていいんだから。やっぱり作っているときが面白いし、お客さんとの掛け引きみたいなものが楽しくてしょうがない。

――ドラマや映画とは違うものなのか?

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