30年の潜伏後、逮捕されたシチリアの大ボスは、逃亡中に再生エネルギーから美術品密輸、オリーブオイル偽造まで手がけていた
2016年1月3日、アメリカの人気報道番組「60ミニッツ」の特集は、農業部門をめぐる補助金詐欺や食品偽装によって潤うマフィアに焦点を当てた。中でも、混ぜ物をしない一番搾りのエクストラ・ヴァージン・オリーブオイルは、高価なだけに偽造が絶えず、番組でも、ひまわり油や菜種油を混合し、クロロフィルで色付けしたオリーブ油や産地偽造したそれが、イタリア警察によって大量に没収されている事実が伝えられた。
世界的なニュースとなったマフィアの大ボスの逮捕劇の背景にある「アグロマフィア」の構造について、『シチリアの奇跡―マフィアからエシカルへ―』(新潮新書)の著者でノンフィクション作家の島村菜津さんが解説する。(前後編の後編/前編を読む)
オリーブオイルの闇ビジネスのために放火
さて、その番組に招かれて一躍、時の人となったのが、シチリアの有機農家、ニコラ・クレメンツァだった。彼は、68年にシチリア内陸部を襲った震災によって、人口が減り、すっかり疲弊したベーリチェ渓谷に点在する約200軒のオリーブ農家の組合を作り、地域のブランド力を高めようとした。島の西端のカステルヴェトラーノ郊外のセリヌンテの神殿跡からは、2700年前のオリーブの搾油器が近年も発掘されている。質の高いオリーブオイル作りが、農家の暮らしを支え、地域の活性化の突破口になると考えたニコラは「質を高めるために、共通の規約を作ろう」と演説する。が、その翌日、自宅脇に止めていた車と組合の事務所に何者かが火をつけた。農家たちも妻もおびえ上がり、組合の話は保留となった。製造や流通の過程を見える化することで質を高めていく生産者組合は、闇のビジネスには目障りで仕方なかったのだ。
一方、治安警察は、2004年、大ボスで逃亡者のマテオ・メッシーナ・デナーロが、地元のカステルヴェトラーノの元市長を利用し、偽名で公共事業を受注していたことを突き止め、数年後には、デナーロの妹夫婦、行政官、企業家が次々と逮捕された。やがて浮かび上がったのは、麻薬や美術品の密輸、建築、不動産、金融、再生エネルギーなど多岐にわたる闇のビジネスを展開していた逃亡者の姿だった。また、シチリアで何軒ものスーパーを経営する社長が、デナーロの資金洗浄に関わっていた容疑で逮捕され、多くの不動産とともに没収されたのが、オリーブ畑と搾油所だ。デナーロは、ベーリチェ渓谷から南部アグリジェントにまたがる地域で、オリーブ畑の管理や移民による不法労働、搾油から輸出までに関わっていたと考えられている。
車を燃やされた後、ニコラは、捜査官に頼まれ、国がデナーロから押収したこのオリーブ畑と搾油所の運営を引き受けたのである。彼の勇気ある行動によって、従業員たちは失業の危機から救われ、農地は3年かけて有機に転換された。今は友人の手に委ねられたが、この時、ニコラが作った有機のオリーブオイルは、農業で違法に儲けるアグロマフィアによる製品の対極にあるもので、エシカル消費の鑑として番組に取り上げられた。
シチリアの奇跡はこれからも続く
今年1月16日、デナーロ逮捕の日、パレルモ捜査当局は午後に記者会見を開き、「ボスをかくまっている組織の細かな網の目にほころびを見つける捜査」が、いかに困難だったかについて語った。確かに、これまでの経過を見れば、今回の逮捕が、傍受など長年にわたる地道な捜査のたまものであることにはうなずける。
同時に、デナーロが潜伏していたカンポベッロ・ディ・マッツァーラ(シチリア島西部、人口約1万2千人)のアパートも突き止められ、1300万ユーロ(日本円で約18億円)相当の資産も没収されたという。それは、カステルヴェトラーノからわずか7キロほどの町だった。
デナーロは、私立病院で直腸がんの手術後、1年近くにわたって抗がん剤治療に通っていたことがわかっているが、これまでも、特捜班は、バルセロナで彼が目の手術を受けたことを突き止め、パレルモのスタジアムでサッカーを観戦する姿が目撃されたこともあった。
しかし、やはり23年逃亡していたトト・リイーナの逮捕が、ちょうど30年前の1月15日だったこともあり、イタリアのメディアは、日付について「謎」という言葉を繰り返し、このタイミングに何らかの意図を見出そうとしている。逮捕にあたり電話で話を聞いたニコラも、こう言った。
「大ボスたちが獄中から指令を出せないように、重罪犯を厳しい独房に閉じ込める法律をめぐって、昨年の首相選では、グレーゾーンの議員たちも、この法律の存続を支持する極右のジョルジャ・メローニを選んだ。一月ほど前には、政府と取引したにもかかわらず裏切られる結果となったデナーロの逮捕が近いのではないかという記事も出ていたんだ」
真実の究明は、今後の捜査に期待したい。
ともあれ、デナーロに直接的な被害を受けたニコラは、今回の逮捕で、ようやく枕を高くして眠れるという。休耕地を少しずつ買い、今では20ヘクタールの有機のオリーブ農園を経営する彼は、「ノー・マフィア」という市民団体の副代表も引き受け、恐喝を受けた人々の支援も続けてきた。小学校の教員から、地元のオリーブオイルの文化に魅せられ、新規就農した一人だ。
「デナーロは病気だったから、組織にはすでに新しいボスがいるはずだ。けれど、これで、シチリアのオリーブオイルの世界からマフィアがひとまず一掃されたのが、何よりうれしい。あの頃、僕が、オリーブオイルの生産や流通にまでマフィアが浸食していると指摘した時には、捜査官さえ本気にしてくれなかった。けれど、その後の捜査と今回の逮捕は、彼らからの真摯な解答だといえる。つまり、本当に地域を豊かにするのは、マフィアと汚職にまみれた経済ではなく、文化的でエコロジカルなもう一つの経済だということだ。
ただひとつ、うらやましくさえ思うのは、悪の組織は、部下たちの情熱と忠誠心に支えられて実に強固だ。地元で、30年も国が追う逃亡者を守ったんだからね。それに比べて、市民活動の組織は、まだまだ結束が弱い。それでも、社会を閉塞(へいそく)感が覆う中で、今回の逮捕は、若者たちに、社会は変えられるということを示すことができた点で、教育的効果は大だった」などと呟いた。
また、国内でロングランとなった映画「ペッピーノの百歩」(マルコ・T・ジョルダーナ監督、2000年)は、今では反マフィア活動のアイコンだ。そのモデルで、ローカルラジオでマフィアを告発して殺害されたペッピーノ・インパスタートの弟ジョヴァンニは、78年の兄の死の直後から反マフィア活動に身を投じてきた一人だ。
彼は、今回の大ボスの逮捕をこう語る。
「首相は、歴史的一日なんて言うけれど、45年、反マフィアを続けてきた者には、手放しには喜べない。30年も地元でかくまわれていたということは、恥ずべき事実だし、まだ残念ながら“沈黙の掟”が存在する証拠です。大切なのは、マフィアはただの犯罪組織ではなく、社会的、文化的存在だから撲滅が難しいのです。またマフィアは反政府ではなく、政府の中にも存在する。いわば“マフィア文化”と闘うには、ペッピーノも言ったように、良き文化、良き民主主義を若者に伝えていくしかない。社会正義や合法性、人間の尊厳や格差について、しっかり議論することです。反マフィア法や刑法も、何か起こってから慌てて改定するのではなく、じっくり話し合うべきです」
そして、コロナ禍によって観光業界がダメージを受け、多くの企業や店舗が倒産し、戦争によって安い労働力としての移民たちが増える経済危機の今こそが、マフィアを育てる土壌だと懸念する。
マフィアの歴史や、それに抗い、反マフィアによって新しいシチリアを起こそうとする人々については、拙著『シチリアの奇跡』に詳しくまとめたので、参照いただきたい。
記者会見の席で、捜査官たちもこう述べている。
「これで、マフィアが撲滅できたわけではありません。我々のコーサ・ノストラとの戦いはこれからも続きます」
マフィアは、シチリアだけでなく、近年、薬物の密売で、北部に勢力を拡大するカラブリア州のンドランゲタ、海外への進出を図るカンパーニャ州のカモッラなど他の組織もある。
最後に忘れてはならないのは、イタリア統一以後、ファルコーネやボルセリーノを筆頭に、シチリア島のマフィアとの戦いで命を落とした裁判官、警官、記者、政治家、企業家、労働運動家たちの数は519人に及ぶということと、そうした人々の犠牲の下に実現した今回の逮捕劇であり、その遺族の多くは、美しい世界遺産の島シチリアを、次世代に引き継ぐために今も人知れず、奮闘しているこということだ。